渡辺ゼミでは,研究を進める上で「定義」を大事にします。
先行研究をしっかりとレビューし,自分達のフレームワークにおける定義を確定することが重要なのです。
それが「何なのか」,それを明らかにすることが大事ってこと。
そういったスタンスからすると,「ガチゼミ」と言われるものの定義がしっかりと理解できていない状態で,ここで何かしらを書くことはできないのかもしれないし,そうである以上,そうすることは不適切なのかもしれない。
さて,話が飛んでいる様な気がする方もいるかもしれないけれど,私はブルースリーが大好き。
学生諸君は知らないだろうけれども,40才後半ぐらいの方は良くご存じでしょう。
私も子供の頃,大好きでした。
偶然だが,私が在外研究で2年間を過ごしたワシントン大学に,ブルースリーも在籍していたことがあったそうです。
確か哲学科…。
シアトルにリーのお墓がありました。
何度かお墓参りにも行ったっけ。
その彼の言葉。
「Do not think, feel」
彼の考案したジークンドーという武道があるのですが,それに取り組むにあたってリーが門弟に徹底した言葉。
敵に対した際に…考えるな,感じろってことだけど…
私はゼミ生に常々言っています。
「Do not feel, think」って。
研究にあたって「何となくそんな感じ」ってのは絶対に許容されない。
徹底的に論理的な思考を貫徹する。
物事の因果を考える際に,「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」「なぜ」と「なぜ」を5回は繰り返す。
絶対にファジーは部分は残さないし,残させない。
それが渡辺ゼミの真骨頂。
その行く末に,様々な大会でのプレゼンがあります。
そのプレゼン大会が,緩い競争の中で一定の成果が得られる程度の舞台ならば,そんな舞台に立つことを渡辺ゼミのゼミ生は,誰一人として意義を感じないでしょう。
ある程度の厳しさ,辛さが伴う大会だからこそ,出場する意義があります。
そして,そういった意義がある大会に臨むのであれば,少なくとも大会直前には,一定の厳しさが伴う研究活動が必須でしょう。
そういった厳しさを経験することを「ガチ」というのなら,渡辺ゼミはガチなのでしょう。
否定はしません。
そして,その「ガチ」という名称だけで渡辺ゼミを忌避する向きに対して,何の意見もありません。
ただ…そういった評判のなか,それでもなお我がゼミを応募してくれる若者がいるのならば…
私はそういった若者の苦悩の全てを支持します。
そして,その苦悩に全面的に寄り添います。
渡辺ゼミは…そういったゼミです。
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