2013年5月30日木曜日

ゼミのやり方

10期生のゼミは,4年と合同の時間も含めると,平均4~5時間やっている。
15:00から始めて,終わるのは19:30~20:30ぐらいまで。
色々と忙しいのだろうけど,長くやることに文句がある奴がいるみたい。
ゼミ後に,ちょっとしたお願い事をしただけで,あからさまに嫌な顔をする奴がいるから。
私は11:00から,トイレに行くだけで,一切休憩せずにゼミをしているんだけどね。

いっそのこと,10期のグループワークの報告は,一週あたり二つのグループに限定しますか。
そうすりゃ3時間ぐらいで終わらせられるからね。
長時間いやいやゼミをして,外発的動機づけのもとで研究に従事してもらっても,成果はたかが知れている。
早く帰りたい奴がいるグループは,早めに報告させて,それが終わったら帰ってもらってもいいかも。
ブスーとした顔を見せられるだけで,萎えるからね,私も皆も。
以前注意したけど,直らんから,言っても無理なんだろうね。
時間がかかっても,十分に議論したい奴だけが残り,前向きな表情で真剣に議論した方が気持ちいい。
あるいは,10期のゼミを12:40~15:00までにして,9期生のゼミをその後にしてもいいかも。
後があれば,時間がきたら終わりだから。
やっぱりゼミは楽しくやりたいからね。
もう,そうしましょう!

2013年5月28日火曜日

自力

自力で何かをやり遂げる。
響きの良い言葉だけど・・・,そんなことってあるのかね。
この年まで,多くの人に支えられ,助けられて生きてきた。
もちろん,自分自身,常に精進を心がけ,それなりに努力は重ねてきた。
でも,自力でここまで登ってきた,なんてとても言えない気がする。
言えば,自分の都合のよいところだけを切り取って,慢心をさらけ出しているようで・・・なんかね。

大事なことは,自分自身の精進と,周りの支えの果てに,社会において何を成し遂げるか,ではないであろうか。
まったく周りの環境を遮断し,それこそリアルに自力で生き,自己の精神世界で何かを完結させるのも,「あり」っちゃ「あり」だろう。
でも,ほとんどの人は社会の中で,社会とのかかわりの中で,生きていく。
一人では生きていけない。
だとすると,自力で生きていると思っているのは,実は幻想で,ほとんどの人は「自力」では生きてなどいない。
大事なのは,自力か否か,あるいはどの「程度」自力で生きているのかなどではなく,周りの支えや助けに報いうるよう,精一杯努力して生きることなのではなかろうか。

身に余る助けや支えを受けるのは,確かに潔くない。
しかし,自己の能力や境遇に見合い,それを受けることで,社会において何かを成し遂げることができるのなら,あるいはその見込みがあるのならば,敢然と人からの支援を受けるべきだと考える。
それを拒否することは,むしろ罪悪に近い,っていうと言い過ぎか?

2013年5月27日月曜日

折れない心

我がゼミの4年生もほとんどの学生に内定がでた(あるいは出る見込み)。
しかし,不運にもなかなか決まらない子もいる。
根性はあるし,はきはきとしているし,元気だし,決まらない理由がよくわからないが。
先週は,ゼミ中に希望の会社から不採用の連絡があり,全員がかける言葉に詰まった。
でも,彼女はめげない。
不採用の理由を教えてほしいと,その会社に連絡したところ,会社側もその熱意にうたれたのか,会ってくれるという。
不採用にした人間に,わざわざ時間をかけて会ってくれるなんて,聞いたことがない。
それが今日。
私も,役に立つかどうかわからなかったが,土曜日にA4で3枚におよぶ推薦状を心をこめて書いた。
それを会社が受けとってくれたという。
そして,もう一度選考のプロセスにのせてくれることになったという。
もちろん,そうなったのは彼女の誠意と熱意が,会社側に伝わったからであろう。
誠意を熱意をもって接すれば,きっと道は開かれる。
きっと今度の選考は大丈夫だと思う。
そう信じている。

2013年5月25日土曜日

ハエ

「千房」というおこのみき焼さんのチェーン店がある。
そこの社長は結構,良いことを語る。
講演は引く手あまた。
私も聞いたことがあるが,その言葉にこういうのがある。

私の部下はダメなやつばかりだ,という人がいるが・・・。
ダメなやつって,どこに集まるんだろうね。
例えば,ダメなやつを,嫌われ者のハエに例えると,それがたかるのは「うんち」ですよね。
つまり,言いたかないけど,自分の周りにダメなやつばかり集まるって言っている人は,要するに自分を「うんち」だって言っていることに等しい。

お好み焼き屋の言っていることだけど,これってきっと大学の教員にもあてはまる。
言いたかないけど,最近,学生を悪しきざまに言う人もいる。
「最近の学生はなっていない」ってね。
でも,それってね,要するにね,自分をね,×××って言っているってことと同じだよね。

私のゼミ生は,みんな素晴らしい。
でも,「だから」私が素晴らしいからだ,って言いたいのではない。
私のゼミ生は,私を素晴らしくしてくれるために,存在してくれている,そう思っている。
現にそうなっている,と思う。



私は決して×××にならない。
ちょっと自負がある。
私は,何か自分に不都合がことがあっても,他人や環境のせいにしない。
自分に問題はないか,自分に悪いところはなかったか,自分の「不作為」に問題はなかったかと考える。
自分に問題があれば,自分が問題の源泉ならば・・・自分で変えうる・・・かも。
他人のせいにしてしまえば,自分では変えられないよ。

私は決して「うんち」にはならない。
決してなりたくない。

潔さ

本日,原価計算の授業で,前回の授業で不正があったと指摘をした。
教材提示機で,不正の証拠をプロジェクターに照射して,皆に示した。
名前はあえて言わなかった。
すると・・・
授業後,ある学生が現れ,あれは自分の答案であると申し出てきた。
その子の答案は,計算プロセスをじっくり見ると,自力で解いたであろうことが分かる答案であったが,それをまるっきり写した子がいたのだ。
私が「隣の子に見られてしまったのか?」と聞くと,「いえ,意図的に見せてしまいました」と正直に答えた。
そして,「二度としません」と私の眼を見て,はっきりと言った。

私は彼を信じる。
彼はとても潔かった。
あの眼は信用できる。
彼は,きっと二度と不正はしないであろう。
とても清々しかった。


さらに・・・
本日,ゼミの学生二人が内定をほぼゲットした。
自分のことのように嬉しい。
いや,自分のことより,嬉しいかもね。


今夜はいい気分だ。

2013年5月23日木曜日

ポットラック

昨日も,ゼミ終了後,LMXを研究しているグループとポットラック・パーティをした。
これで,一応,3年生のすべてのグループとやったことになる。
HKRは野菜スティックと卵焼き,NNEは豚キムチチーズ,MAIは肉じゃが,MKYはおにぎり,MRNはパイを持ってきてくれた。
とってもおいしかった。
ゼミのことや,ゼミに関係ないこともたくさん話し,ちょっとみんなのことを理解できたような気がする。

ところで,我がゼミでは初めてのことだが・・・
MKYが夏から一年間,カリフォルニア大学に留学する。
これからゼミとしてどう対応するか・・・大きな課題である。
ゼミとしてよく考えなければならないであろう。

2013年5月22日水曜日

変わらないね

学生の父母向けに「草のみどり」という雑誌がある。
今月号の「商学部だより」というコーナーで,商学部事務室の職員の方が書かれた文章の中に,私が数年前に書いた文章が引用されていた。

大学の場において,
ゼミほど学生と教員が濃密に交錯する場所は他にない。
両者は,時にぶつかりあい,さまざまな思いが交差することもあるが,
学生は互いに助け合い,教員はそれをサポートし,高い研究成果を目指す。
議論においては,真理の探究のため,
容赦のない厳しい指摘が繰り返される。
しかし,他方では,共に遊び,酒杯を重ね,
感動を共有し,泣き笑いすることで,家族のような情愛があふれる。
ゼミとは,議論の場における,規律と苛烈さ,その場における暖かさと情愛が共存する,
げに不思議な組織である。



留学後に書いた記憶があるから,6年ほど前の文章かな。
ゼミに対する思いはまったく変わっていない。
今も当時と。
あと20年経っても変わらない。
そう誓おう。

2013年5月21日火曜日

語り続け,待ち続けよう

またも原価の授業で,他人の解答を写しているらしき答案が出てきた。
どうして分らないのかな。
そんなことをしても全く意味がないし,いずれ自分が困るだけだし,それよりなにより自分を貶めてしまっている,と。
そんなことをして若干平常点をかさ上げすることができたとしても,実力が伴わなければ絶対に試験で点数はとれない。
そういう問題しか試験に出さないから。

また,金曜日に注意しなきゃな・・・。
注意を言うことは,学生諸君が言われて嫌に感じる以上に,嫌なものだ。
しかし,そんなことは言っていられない。
たとえ,うざがられても,言うべきことは言わなければならない。

うちの学生は,潜在的な能力は素晴らしいものがある。
それを,つまらん行為で曇らせ,埋もらせたままにしないでほしい。
貧困な考えを捨て,潔い振舞いを身につけてほしい。
そのために少しでもなるならば・・・私は語り続けよう。

って,深刻な感じを醸し出しといてなんなんだけど,基本的には私は授業が好きだ。
授業がない生活なんて考えられない。
留学中は楽しいことばっかりだったけど,唯一,授業がないのが辛かった。
そのくらい,授業は私にとって大事なもの。
色々と乗り越えなければならないことも多いし,難しいことも多いけど,だからこそ挑戦しようって気になるし,楽しいのかも。


さて,明日はゼミの日だね。
楽しみだ。
ゼミは,ほんとに楽しいよ。
こんなに楽しんでいいのかね,ってくらい。
明日もみんな一緒に脳みそを輝かせような!

2013年5月20日月曜日

授業プラン

来月,都内のある高校に模擬授業をしに行く予定。
会計学の面白さ・魅力を伝えたい。
どうしたら限られた時間の中で,会計学についてイメージをつかんでもらうことができるか,さらにはその魅力を伝えることができるのか,今日の午後は,じっくりその授業内容について構想を練った。

もはや中央大学商学部は,過去の伝統に胡坐をかいていることはできない。
過去の遺産は,すでに食いつぶしてしまったといっても良いだろう。
敢然と自己改革を目指し,あわせて一人ひとりの教員が汗をかかなくてはならない。
私もその先兵として,高校生に立ち向かうつもり。
一人でも多く,中大商学部に興味をもち,そして進学先として選択してもらうために。
批判や批評に終始し,自らは行動しない(できない)人間には,決してなるまい。


ところで・・・
9期生のブログ(http://ameblo.jp/watanabesemi9/)が活性化しているね。
人からの意見や批判に謙虚に耳を傾け,自己改革ができる人になってほしいね,うちのゼミ生には。

2013年5月19日日曜日

土曜日と日曜日も

昨日の土曜日は息子の運動会。
朝6:30に場所取りのため,校門前に並ぶ。 
7:30に開門後はダッシュ!
最前列を確保。
午前中はゆうゆうと好立地で応援。
が,お弁当を一緒に食べた後,急いで神保町の一橋講堂へ。
JALの再生におけるアメーバ経営の役割について,JAL役員の講演を聞く。

今日は早朝,息子とサッカーと野球の練習。
サッカーはずーとやっているの,この年齢としては相当にうまいと思う。
が,サッカー小僧によくありがちなのだが・・・,野球が下手。
男子だったら,しっかりとしたフォームで,ボールが投げられなきゃね。
それから長女と買い物。
スマホのモバイル充電器や,サッカーのスパイクなど。
大学でサッカーサークルに入ったって・・・。
なんでやねん。


ま,いっか。


で,午後は畑仕事。
この時期は,いくら時間があっても足りないくらい,やることがたくさんある。
しかし,週末しか時間がかけられないので,やれることから,こつこつと。
で,夕方,町内の役員会。
町内会の副会長になっちゃった・・・。
緑地担当・・・。
ま,これでますます日曜は,忙しくなること,間違いないな。
よし,かかってこい!


なんのこっちゃ。


2013年5月18日土曜日

メリハリ

大学の講義において,私語は絶対に許容できない。
私語は,他の人の修学を妨害する,一種の搾取的行為だ。
断固として,何と陰口をたたかれようが,注意をする。

その甲斐あって,私の講義では,私語はほとんどない。
「ほとんど」というのは,講義開始のチャイムが鳴り,私が授業開始を宣言した後でも,それまでのざわめきの一部が,若干,ほんの数十秒だが残るからである。
これはいつの講義開始時にも多少はある。
ま,講義が始まってしばらくすれば,ほっといてもおさまるのかもしれないが,私語厳禁を掲げる以上,それも許容できない。
「そのぐらいいいじゃん」という声が聞こえてきそうだが,そうではない。
それを放置すれば,学生は,開始時の私語は多少許容される,とただちに学習してしまう。
そして,だんだん5分ぐらいいいんじゃん,いやだったら6分ぐらい,10分ぐらい・・・ときりがなくなる。

しかし,その授業開始時の注意が,教室全体の雰囲気を悪くする。
なかなか私も冗談や余談が言いにくくなる。
注意を受けたことによって,学生に拒否的態度が多少なりとも生じてしまうからだ。

良い時の授業は,私語もなく学生は粛然と,しかし非常に熱心に,私の話しを聞き,たまの余談の時は,笑いや多少の話声が教室に満ちる。
そう,私語厳禁といっても,私が余談を話している時などは,多少の会話は許されるし,むしろ多少の反応がないと,余談なんかできやしない。
一定時間の緊張の持続と,その緊張が若干弛緩する間の存在,この絶妙のメリハリが実現した時,学生の修学も著しく進むし,講義終了後の私の満足感も半端ではない。

講義開始時の私語は,たとえ若干(ほんの数秒あるいは一言)であろうとも,私が注意をすれば,その後の良い授業の実現を妨害してしまうのである。
そのくらい,実は「罪」が重いのである。

2013年5月16日木曜日

10期生

10期生のゼミも徐々に良くなってきている。
議論は活発になってきたし,笑いも適度に起きる。
しかし・・・
まだまだ子供だし,ダメな点もたくさんある。

例えば・・・
ゼミ中には,局地(隣同士)で話し合いをせずに,全体に向かって発言することが大事だと言っても,どうしても局地戦が起こる。
まだまだ全然だめ。
発言内容に自信がない場合に,発言する前に「そうだよね」という隣人の合意が欲しいのだろうが,全体のためにならない。
間違っていてもいいから,とにかく自分で良く考えて,発言すべきだと思ったら,どんどん発言すべし。誰も間違っていても笑わん。
これがなおらないようでは,1年後の就職活動で苦戦は必至だと心得よ。

他にも・・・
ゼミの日程調整の際,自己都合でゼミ全体の日程を変えて欲しいとか,いっているようでは,やはり大人として全然だめ。
自分の都合について発言するな,とは言っていない。
その日程は自分の都合が悪いので,万が一その日程に決したら,全日程に参加できないかもしれない,あるいは一部抜けさせていただけないか,と言えば良い。

他にも・・・
10期生とのメールのやり取りにおいて,私が送付したメールで,そのやり取りが途切れることが多い。
それも,こちらが説諭しているのに,それに対する返信が来ない。
説諭に不満でも感じちゃっているのかな?
たとえ,そう感じたとしても目上のメールに対して返信するのは大人として常識。

他にも・・・
2号館の上層階は,基本的に先生の研究室が並んでいる。
私の研究室に訪ねてきた際,その廊下やコピーする場で,大声で話したり,大笑いしたりする。
先生方の研究活動に対する配慮が感じられない。
うちの歴代のゼミ生は,その辺のことについて,特段に注意しないでも,自分たちで気づいてきた。
廊下では静かにしろ,なんて小学生に対するみたいな注意を,私にさせんなよ。

窮屈に感じられるかい?
早く気づけよ。
真の自由は不自由さの中にある。

無法のチンピラにも,無限の自由などない。
ましてや諸君は,社会に出て,その社会をリードする人材になるんだ。
もっと自覚を持ちなさい。

2013年5月14日火曜日

Black or White

最近,ブラック企業に関する書物を数冊購入していたが,今日の午後,一挙に何冊か読んだ。
そのうち・・・今野 晴貴『ブラック企業:日本を食いつぶす妖怪』(文春新書)が一番良かったかな。
すべての主張や意見に首肯できたわけではないが・・・。
しかし・・・とんでもない企業があるもんだ。
しかし,そのやり口を見ていると,いわゆるマインド・コントロールに相当長けた奴が,知恵を貸しているな。
北東アジアあるいはロシアなどの諜報機関の関係者が関与しているかもね。




さて,今日は,原価計算の講義のなかで情操教育アゲイン。
あんまりやるとくどくなるんで,この辺にしときます。

明日はちょいゼミの時間を使って,原価の授業でやったことを皆に考えてもらうつもり。
ゼミの連中の率直な意見を聞きたい。
240人からの受講者がいると,なかなか率直な意見が聞けんからね。

2013年5月13日月曜日

リハビリの月曜日

月曜日は講義がないし,会議が入ることも少ないので,左肩のリハビリに行くことが多い。
だいたい1時間半ぐらいかかるが,そのうち1時間ぐらいは,理学療法士の方に,つねられ,ぐりぐりされ,引っ張られ,それはもう痛い・・・。
筋肉をほぐし,皮膚を柔らかくすることで,肩の可動域を広くするためなのだが,とにかくキツイ。
しかし,乗り越えなきゃね。

さて,明日は原価計算の講義なのだが,先週の金曜日に書かせた松下幸之助翁の言葉に対する感想文のうち,良く書けているものを皆に配ろうと思っている。
47名分の文章をパソコンに打ち込む作業はかなり膨大だったが,心はほくほく暖かくなった。
明日,もう少しだけ学生の情操教育のために時間をとろう。
今の彼ら彼女らなら,真綿が水を吸うように,理解してくれるものと信じる。

2013年5月12日日曜日

ハイ・コンテクスト

多くの言葉を要せずに,意を通せる夫婦がいる。
多くの言葉を要せずに,意が通じる組織がある。
多くの言葉を要せずに,意が通じてしまう国がある。
言葉を多く要することなく,文脈で意を通すことができる,そんな関係をハイ・コンテクストな関係という。

もともと日本は,ハイ・コンテクストな国民文化を有しているが,それを表象する,素晴らしい日本映画の一シーンがある。

高倉健主演の『海峡』における,健さんと吉永小百合の長回しのシーンである。
ずっと昔に見て,それが強烈な印象として残り,時々,授業で国民文化を説明する時に,引用してきた。
が,やはり現物を見なければ・・・,理解できん・・・だろうな。

今,BSで,その海峡が放送されている。
偶然気づき,それを録画することができた。
今度,ゼミ生に見せることとしよう。


ところで,初期のゼミ生は知っているが,私は健さんの映画をこよなく愛している。
初期のやくざ映画ではなく,例えば・・・
『幸せの黄色いハンカチ』
『遥かなる山の呼び声』
『駅 Station』
『居酒屋兆治』など

さて,そろそろクライマックスだ。
そう・・・今,その海峡をみながら,これを書いている。

2013年5月11日土曜日

ある講義にて

火曜日の1限と金曜日の3限に原価計算論という講義を担当している。
そこでは,半期30回の講義の中で,20回の練習問題と,同じく20回の理論クイズのようなものを行っている。
そして,それらに一回あたり1.5点満点の評価をして,トータル30点(20回×1.5点)の平常点を与えている。
練習問題については,専門学校などで会計学を独自に勉強している学生と比べると,初学者の子は相対的にあまり点数が伸びない。
そこで,理論クイズのようなものを同時に実施し,練習問題による獲得得点と,そのクイズによる獲得得点のどちらか大きいほうを,その人の平常点としてカウントすることにしている。
これにより,初学者の子も平常点を不利なく獲得できるとともに,練習問題における不正を防止することが「ある程度」できている。
べつに練習問題についてカンニングしなくても,理論クイズの方である程度の平常点をゲットできるからである。
しかし,「ある程度」しか防ぐことはできない。

今年,私の原価計算の講義の履修者は243名。
しかも,実際の出席者もその9割はくだらない。
8号館の大きな教室を使わざるをえない。
その大きな教室で,すべての不正行為をたった一人で防げるわけがない。
私は,理論クイズがあるから,練習問題で不正をする必要はないであろう,そんなことをして自己を貶めるなと諭し,そのうえで学生を信用するしかない。

しかし・・・
どうしても不正は起こってしまう。

そこで,昨日の講義で,松下幸之助の講演のCDを聴かせることにした。
「心を打たれたある車夫の心意気」というタイトル。
内容はおおむね下記の通り。


まだ自動車もなく人力車の時代。
大阪駅の駅頭にならぶ人力車の車夫の中のある青年の話し。
ある日,細かい車賃を持たない客が,おつりを祝儀としてその青年に与えようとした。
しかし,その青年は,そのお金の受け取りを拒絶し,おつりをしっかり返したという。
松下幸之助はその話しを聴き,いたく心を打たれたという。


「その車夫は偉いと私は思うたんです。
たくさんの車夫のあるうちには,その五銭の,いわゆる祝儀に属するようなものをもろうて喜んでおる人もたくさんある。
しかし,その青年は,十五銭の車代を二十銭もらうということは許されないことだと感じたんでしょうね。
そこに私は,その青年の心の豊かさと申しますか,偉さと申しますか,正しさというものがあろうかと思うんです。
ただなにがなしに十五銭のところを走ったからというて五銭もらうということは,一人前の男子として潔くない。
そういう意味の金をとってはならない,というようなところに,その車夫の青年の心意気があったとでも申しますか,まあそういうことであった。
その人が後にえらい成功しはったんだと,こういうことを聞いたのが,私の耳にこびりつきまして,非常に私は感動をしたんであります。
この青年に負けないような心意気をもって仕事をしなくちゃならない,この青年に恥ずかしくないような商売の仕方をしなくちゃならないというのが,私の胸を始終,支配しておったと思うんであります。 
今日,幸いに多くの方々からごひいきをこうむって,今日の私の仕事が成り立っておりますことも,私はそういう意味の公明正大な心持によって経営されておるところに,ごひいきを頂戴いたしておるんだというような感じをいたしておりまして,ただ一言,その時に聞いたその感動は,今日も私の胸に脈々として生きておるんであります。」




原価計算論の授業を20分もつぶして,上記のようなCDを聴かせることには迷いもあった。
今の学生の心に響くのであろうかという不安もあった。
もし,響かないということであれば,その現実を知ることになってしまう。
そのことも恐ろしかった。



ところが・・・

240名近い学生の感想文のうち,ほんのごく一部を紹介したい。

「自分の身の丈に合わない処遇を受けることは,あとで辛くなるという言葉を聞いて,確かにそうであると思いました。
真面目にやっている人が馬鹿を見るような,ずるい行為は,やった時は軽い気持ちでも,ずっと後ろめたい気持ちが残ります。
成功するかどうかはともかく,自分が恥ずかしくないふるまいをしたいと思いました。」

「この言葉を聞いて本当にその通りだなと思いました。
語学の小テストとかでカンニングをしたことがあったけど,結局その時だけしかいいことはなくて,本番のテストの時に,とても苦労したことを覚えていたので,この言葉を聞いて,自分のような心が貧困な心なんだなと思いました。
そういう心を持った人は,一時的には良くても,最終的には絶対良くならないと思いました。」

「最初に聞いたとき,なぜ二十銭をもらわないのかと疑問に思ってしまった。
とっても恥ずかしいことでした。
自分は他人よりも評価されたい,というのは人間として当たり前のよくだと思っています。
しかし,一瞬,一瞬,自分がどういう存在であるのか,どういった評価をもらえる存在なのか,しっかり厳しく見極めていきたいと感じた。」

「その車夫がとった行動に驚いた。
24,5歳ということだが,その年では食べていくのに必死だったと思う。
でも,その車夫は祝儀を受け取らなかった。
それは見栄でもなく,当り前のようだった。
その生き方をしたい,と思った。」

「商売においてのみならず,貧困な考えでは,自分自身が成長できない。
そして,先生は,そのような不正行為をやめるとは言わず,自分のためにならないぞと我々に諭してくれているように感じた。
私は練習問題などにしっかりと取り組んだつもりだったが,楽をしてよい評価をもらう人が仮にいたとしたら,とても悔しい。
しかし,プライドと自身の成長のためにこれらからも努力しようと思う。」

「真面目に生きるということは簡単なことではないし,常に何かしらの誘惑と隣り合わせに生活しているけれど,もう一度,考え方などを見直してみて「心」という面で成長しながら生きていきたいと思いました。」

「人は,苦しく,辛い時だったり,逃げ道があるような時は,逃げたくなる問題に正面からぶつかろうとはしない人が多い。
しかし,それを乗り越えて,問題を解決していけば,それこそが人として成長できると思うし,必要とされる人材になれると思った。
もっと自分に厳しい人間になろうと決意した。
人の好意はありがたいし,すがりつきたくなるけれども,それをうけていいか判断できる人間になりたい。」

「自分もお釣りを多くもらったり,小銭を拾ったりしたら喜んでしまったことがあって,恥ずかしくなりました。
結局,世の中で成功するのは,正直ものなんだなと考えさせられたので,自分にも言い聞かせて生活しようと思いました。
ただ頭がいい人ではなく,そんなことよりも心がきれいな人になりたいと思いました。」

「私は,不正行為というものが身の回りで普通になりすぎて(席の周りでも,これであってるかな?という程度の声は聞こえてきたりする),不正したい人はやっていればいいという考えでしたが,やはりそのような考え方も恥ずべきだと思いました。
私は不正をすることはありませんが,周りの不正もなくなるようになるにはどうすればよいのかを考えようと思います。」

「その車夫の行為に素直に感動した。
おそらく私は嬉しい気持ちで,祝儀を受け取ると思う。
他の人々も相当な正義感がない人であれば,受け取るであろうと思う。
些細なことではあるが,5銭を受け取るかどうかで,その人の人間性というものが見えてくるのだと感じた。
たかが授業の一環の練習問題などでも,真面目にそれに取り組むことが大事だということが分かった。
小さいことに真面目に取り組めない人が,より大きなことに真面目になれるはずがないと改めて感じた。」

「他の授業で,今まで私は出欠票を出してもらったり,出してあげたりする時がありました。
また,それを恥ずかしいことだと思ったことはありませんでした。
大学生なら当たり前のことだと思っていたからです。
しかし,今日の授業で,それは恥ずかしいことであり,今後の自分のためにもならないと思いました。
大学の講義に限ったことではなく,車賃のようなことは日常生活でも多くあります。
私はそんなとき,公明正大な判断できるといいなと思いました。」

「私自身,中学,高校における,例えば英単語の小テストは真面目に受けたかと問われれば,すべてそうだと言い切れる自信はありません。
しかし,結果的に今と結び付けて考えてみると,損をしているのは自分自身であり,同時にそれに費やした他人の時間,思いも無駄なものとしてしまっています。
これを今度続けていくようでは損しか産まないことを近頃気づき,不正は一切行っていないのですが,今回のCDで,その認識・決意を改めて固くしました。
私は今,無駄にしたものを取り返すべく勉学に励んでおりますが,同時に心の成長をすることにも力を入れます。
先生の熱意は態度からもよく理解できました。」

「私は高校時代に何度か不正行為をしてしまったことがあります。
その時は,テストで点を取るためにと,自分で自分に言い聞かせていました。
でも,やはりしてしまったあとは,後悔や,もっと努力で来たのではないかと思うことがありました。
でもそれはもう行ってしまった後のことだったので,どうしようもないと思うようにしました。
車夫の人は,私とは違い,悪いことをしたわけではないのに,お金を多くもらうことを断り続け,自分の力で成功しました。
人には頼らずに自分の力で成功するのは大変だと思います。
それなのに,私は不成功をして,成功してよかったのだろうかと思いました。
それで将来自分は頑張って成功したと思えるのだろうか,人に言えるのだろうか,と考えました。
私は言えないと思いました。
恥ずかしいと思います。
なので,これからは自分の力だけで困難を乗り越え,将来自信を持って頑張ったから成功した,と胸を張って言える人になりたいです。」

「その車夫の方と同じような行動をしてきたのかなと過去を振り返ってみると,あまり同じような行動をしていなかったなと恥ずかしく思いました。
褒美として多めにいただけてラッキーだな,なんて甘く考えたのが,馬鹿だったなと感じました。
自分に見合うことくらいしかしていないのに,甘えてばかりいては部活動をやっている選手として,伸びない理由につながるんじゃないと思いました。
もっと初心のころのような気持ちを忘れずに,部活も勉強も取り組みたいと考えさせれました。」

「不正をして点数が取れればそれでいいと思ってしまったら,人として潔い生き方ができなくなってしまう。
不正や自分に見合わないことで成果を得ても,人間的にはなにも成長しないし,むしろ人間性が悪化していくと思う。
正直に生きて,何事にも公明正大に取り組むことで,それは自分の力となり,一人の人間として尊厳のある存在になれる。
そして,自分が誇れる人間になれれば,人からの評価もおのずと付いてくると考えさせられた。」

「この話を聞いて,本来の自分の力を表現していかないと,一向に伸びることも学ぶこともできないということを改めて感じました。
自分に甘くては,なんの成長もできない。
自分のこの先のために自分に厳しくしていきたいです。
将来のこと,今とても悩んでいるので,この話を聞けてよかったです。」

「この話を聞いて,自分は,あまり意識していなかったにせよ,誠実には過ごしてきてはいなかったと思いました。
大学に行くために上京して,両親が多大なお金を払ってくれているのに,真面目に授業に行くこともなかったことが,今頃恥ずかしいことだと思うようになりました。」

「自分が恥ずべき行動をとっていると思った。
普通にただ感心した。
このような考え方ができるような人になりたいと感じた。」




もちろん,松下幸之助氏の話に共感できないという人も,4,5人はいました。
でも,多くの学生がシンパシーを感じた模様です。

私は・・・ちょっと・・・涙がでそうになりました。
どうです!
中央大学の学生は!
闇を抱えている子もいるけれど,その闇の中から,必死に明りに向かって這いあがろうとしようとしているではありませんか!
今の学生は,まだ原石のままで日の目を見ていないところもあるけれど,すぐれた情操を持っています!

2013年5月10日金曜日

聴いてほしい

4年の就職活動も辛い時期だ。
周りには内定者が続出する。
自分はお祈りメールに接するばかり。
気持ちを強く持とうとしても,どうしても折れそうになる。

中大バスケ部の連中も,先日,青学に43対103で大敗。
順位決定戦も敗戦。


辛いだろう。
私には応援してあげることしかできない。
私は私の職務を命をかけて全うすることしかできない。
君らの心の叫びを聞いてあげることしかできない。




私が大好きな唄です。
馬場俊英の「スタートライン」
心が挫けそうになったときに・・・聴いてごらん。



もうダメさ
これ以上は前に進めない
そんな日が
誰にだってある

だけど
雨でも晴れても
何でもいつでも
その気になりゃやり直せる
何度でも

これからのことを思うと
負けそうになる
心配なことがあってしゃがみそうになる
あと少し
もう少しだけ
強くならなくちゃ
でも
大切なことはいつも
誰も教えてくれない

だから
そうだよ
くじけそうな時は
遠くを見るんだよ
チャンスは何度でも
君のそばに

2013年5月9日木曜日

風邪気味だったけど

昨日はちょっと風邪気味だったけれども、フル稼働した。
早朝,1限時間帯には学長専門員の会議。
中長期の中大の基本構想について考える。

2限にはベーシック演習。
昨日も私のレク。
概念学習とゼミでの議論の必要性を関連づけて説明した。
来週以降は,学生諸君の事例分析のプレゼン。

昼休みと3限は4年のゼミ。
昨日も病欠を除き全員が出席。
就職活動が終了した者も未了の者も順番に卒論報告を行っている。
しかし,ちょっと気になることがある。
それはシューカツ中の者の報告の内容が薄すぎること。
報告は,すればいい,というもんでもないであろう。
しばし後回しにしてもらい,時間をもらい,十分な用意をしたうえでの報告の方がよくないか?

4限冒頭は今年から実施している,4年による人材育成に関する事例の報告。
ONO,yUKに引き続き,今週はMRKの報告。
働きやすさと働きがいに関する内容。
7期のゼミ生には懐かしい内容だよね。

さて,それ以降20:00までは,3年のゼミ。
昨日は,冒頭にちょっとあることについて議論した。
我がゼミは,常に全員がゼミに出席し,基本,常に全員が活発に議論に参加し,論点の本質理解に全員で接近することを試みる。
現時点でも,その我がゼミのイズムを概ね理解していると思うが,早い時期にちょっと立ち止まって,皆で良く考える場を設けた。

20:00からは,組織市民行動の研究チームとポットラック。
TMYの海苔巻,MSTのきんぴら,ITOのチーズ肉巻き,MSAのインゲンとニンジンの肉巻き,NMIのガトーショコラ。
みんなとってもおいしかった。
話しも楽しかったし,またやりたいね!

2013年5月7日火曜日

まずいな

昨日,昼から我が家でBBQ。
親族トータル14名が集合。
ずっと焼き台に張り付く。
ビール片手に。
結局,昼から晩まで,飲む。
早く寝たが,今日の1限の授業が辛かった。
気温の変化の激しさの影響か,ちょっと風邪気味のようだ。
鼻水が止まらんし,喉も痛いし,関節が痛み始めて,って完全に風邪じゃないか!
明日はなんと1限時間帯に会議がある。
例の学長専門員の仕事。
でもって,それ以降はずっと5505号室で奮闘し,それからポットラックの予定。
風邪をひいている場合ではないではないか!



寝よ。

2013年5月5日日曜日

続けています

さて,最近,野菜ネタを書いていませんでした。
農作業をしていなかったわけではありません。
3月末に肩の手術をする前に集中して畑を耕し,ちょっと早かったけど色々と植え付けもやっていました。
4月初旬はちょっと寒かったので,成長はあまり良くなかったけど,手術後も徐々に植え付けを行っていました。
今日も農作業を午前中に3時間ほどして,ほぼ夏野菜の植え付けは終了。



 
 
 
一番上の写真。
左奥には,ブロッコリー,キャベツ,枝豆。
中央には,奥にオクラ,そしてキュウリ。
右奥には,ゴーヤとミニラディッシュ。
 
真ん中の写真。
全部,ジャガイモ。
男爵とかメークイーンとか北アカリとか,種類は色々だけどね。
 
一番下の写真。
左のラインは全部トマト。ミニ,中玉,大玉と種類は色々。

真ん中のラインはナス。種類色々。
右のラインは全部インゲン。

結構なもんでしょ。
今年は一面増やしたからね。

今日は農作業後に,大学に来て,論文の加筆修正を完了し,編集委員会に送付!
結構,一段落感が高い。
さて,明日は親族集めてBBQ。
飲みすぎないようにしないと,翌日一限授業だからね,ほどほどにね。

2013年5月3日金曜日

ザ・ファイナル

今日は,大学に行くつもりだったが・・・
早朝8:00から2時間,今度高校でテニス部に入ることになった娘とテニスを。
左手はポケットに入れ,内側を強く握り,振動が肩になるべく伝わらないようにする,そういったケアはちゃんとした。
テニス終了後,1時間30分に渡り,息子とサッカー。
帰宅後,昼食をとり,畑仕事を1時間ほどやる。
疲れた・・・。

で,たまたまつけたBSテレビで,ロッキー・ザ・ファイナルという映画がやっていた。
ロッキーシリーズは,途中くそみたいな駄作もあったが,最初の方のは素晴らしかった。
このザ・ファイナルは見たことがなかったし,テレビをつけた時点で残り1時間だったが・・・良かった。
特に息子とのやりとりの部分は秀逸だった。
現役引退後何年も経ち,50歳を過ぎてから現役のヘビー級チャンピョンに挑戦しようとする親父に対して,そんな有名な親父をもった息子が,自分の人生がうまくいかないことを親父のせいにしようとするが・・・



他人がどう思おうと関係ない。
自分の弱さを他人のせいにするな。
人生は重いパンチなんだ。
大事なのはどれだけ強く打つかではない。
いくら強く打ちのめされても立ち上がること。
こらえて前に進み続けることである。
by ロッキー・バルボア



前に進もう。
どんなに辛いことがあっても
進み続けよう。
な,みんな。

2013年5月2日木曜日

オペラ座

オペラ座の怪人。
思ったよりずいぶん良かった。
ファントムの声量や声質が素晴らしかったね。
前半部分はちょっと危なかったが・・・いや・・・私自身がね・・・。

さて,明日と明後日は家族が実家に帰るので,大学でたまった仕事をこなそうと思う。
投稿論文がレフリーの審査を受けて戻ってきているので,そいつを加筆修正しなけりゃならん。

ところで,昨夜からこのブログの来訪者カウンターがすごい勢いで上がっている。
何でだろう?
昨夜の記事を消しちゃうかも,って書いたからかな?

そうそう,全然違う話だけれども,このブログも開設から2年9ヵ月ほど経つけれども,先月の時点で80,000ヴューを突破しました!

2013年5月1日水曜日

谷間のゼミ

連休の谷間のせいか,今日のゼミ・・・どっと疲れた。
11:00~20:00近くまで,きわめて集中してゼミで議論しているので,当たり前っちゃ当たり前だが。
でも,その疲労も,今日のは心地よい。
4年については相変わらず活発な議論が爽やかだ。
3年も徐々に議論が活性化し,笑いも増えてきた。
そうそう1年も,今日はずっと私のレクチャーだったけど,みな一生懸命聞いていた。
かように,とっても良い感じだからね,どのゼミも。

しかし,それもこれも,私の親父ギャクならびにその後の自虐トークによって,実は暗黙のうちに導かれていることにゼミの連中は誰も気づいていまい・・・ふ,ふ,ふ(自嘲)。


やはり
・・・
疲れている
・・・。


明日は,娘二人に母をひきつれて,ミュージカルを見に行く。
リフレッシュしてこよう。
ところで
じゃーん,じゃじゃじゃじゃ,じゃーん。
じゃじゃじゃじゃ,じゃーん。
じゃじゃじゃじゃ,じゃーん。
さぁ,何のミュージカルを見に行くか,分るかな?



いかん,やっぱり,疲れているな・・・。
寝よう,もう。

明日になったら,この投稿,消去しているかも。