2013年6月1日土曜日

未熟者

私には,生涯一高校教師だった叔父がいたことは,以前書いた。
その叔父は,死ぬ間際まで,教師だった。
枕元は常に影に覆われ,叔父を優しく包んでくれていた。
叔父は何度も旅立とうとした。
そのたびに私たちは見送ろうとした。
だって,充分に頑張ったじゃん,おじちゃんはって,もう苦しまなくっていいよって。
叔父に子供はいなかったが,その分,私や私の兄や妹は,叔父に寄り添っていた。

だけど
枕元の連中は,大声で叫び,それを許さなかった。
叔父は,何度も何度も帰ってきた。
きっと聞こえたんだろうな,その声が。
親族すら入り込めないくらいの,そんな空間が,ちょっと異次元のように思えた。
最後の病院は,防衛大学の医学部という,ちょっとどこか無骨な看板がかかっていたけれども,その病室には優しい空気が流れていた。
心臓病の薬の副作用のために,顔はパンパンに膨れ上がり,表情すら良くわからない状態だったけれども,叔父は常に笑っているように見えた。

戦禍に翻弄され,七人兄弟の長男であったこともあり,大学に残らず,教師として生き抜いた叔父に,不満はなかったのだろうか。
聞きたいことは一杯あった。
でも,叔父は多くを語らなかったし,会えば必ず言ってくれた。
「岳夫は偉いな」。


でも
以前から,私は全く変わっていない。
私は全然偉くない。
私はまだまだ全然駄目だ。


私はドラッカーが相当好きで,結構その著作を読む。
曰く
年に二度,自分(あるいは自分の会社)は何をもって覚えられたいかをじっくり考えよ,と。
この言葉,実はあまり好きではない。


でも
それなのに



私も,何かをもって覚えられたいらしい。


全然だめだ。


叔父は,きっと死んでからも,ずっと教師であり続けているだろう。
もっと私にも・・・。

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