2015年8月10日月曜日

休暇

昨日は久しぶりに実家に帰った。
息子と娘と一緒に行き,母と妹と晩飯を食べた。
毎年恒例になったきらいがあるが,今日は母親と息子と映画を見る。
あまり期待していなかったが,意外と良かった。
「ばけものの子」
メルヴィルの『白鯨』が効いていて,ストーリーに深みがあった。

さて,何となく今日は中原中也の「盲目の秋」の気分。
この詩も大学時代に好きだったなぁ。
特に,最後の節が。
ノートに書き写して,ウィスキー飲みながら,良く詠んだ。



盲目の秋
※(ローマ数字1、1-13-21)


 
風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限の前に腕を振る。

そのかん、小さなくれなゐの花が見えはするが、
  それもやがては潰れてしまふ。

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまへに腕を振る。

もう永遠に帰らないことを思つて
  酷白こくはくな嘆息するのも幾たびであらう……

私の青春はもはや堅い血管となり、
  その中を曼珠沙華ひがんばなと夕陽とがゆきすぎる。

それはしづかで、きらびやかで、なみなみとたたへ、
  去りゆく女が最後にくれるゑまひのやうに、
  
おごそかで、ゆたかで、それでゐてわびしく
  異様で、温かで、きらめいて胸に残る……

      あゝ、胸に残る……

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまへに腕を振る。


※(ローマ数字2、1-13-22)


これがどうならうと、あれがどうならうと、
そんなことはどうでもいいのだ。

これがどういふことであらうと、それがどういふことであらうと、
そんなことはなほさらどうだつていいのだ。

人には自恃じじがあればよい!
その余はすべてなるまゝだ……

自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、
ただそれだけが人の行ひを罪としない。

平気で、陽気で、藁束わらたばのやうにしむみりと、
朝霧を煮釜にめて、跳起きられればよい!


※(ローマ数字3、1-13-23)


私の聖母サンタ・マリヤ
  とにかく私は血を吐いた! ……
おまへが情けをうけてくれないので、
  とにかく私はまゐつてしまつた……

それといふのも私が素直でなかつたからでもあるが、
  それといふのも私に意気地がなかつたからでもあるが、
私がおまへを愛することがごく自然だつたので、
  おまへもわたしを愛してゐたのだが……

おゝ! 私の聖母サンタ・マリヤ
  いまさらどうしやうもないことではあるが、
せめてこれだけ知るがいい――

ごく自然に、だが自然に愛せるといふことは、
  そんなにたびたびあることでなく、
そしてこのことを知ることが、さう誰にでも許されてはゐないのだ。




せめて死の時には、
あの女が私の上に胸をひらいてくれるでせうか。
  その時は白粧おしろいをつけてゐてはいや、
  その時は白粧をつけてゐてはいや。

ただ静かにその胸を披いて、
私の眼に輻射してゐて下さい。
  何にも考へてくれてはいや、
  たとへ私のために考へてくれるのでもいや。

ただはららかにはららかに涙を含み、
あたたかく息づいてゐて下さい。
――もしも涙がながれてきたら、

いきなり私の上にうつ俯して、
それで私を殺してしまつてもいい。
すれば私は心地よく、うねうねの暝土よみぢの径を昇りゆく。

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