今日、大学で4年生の卒論指導を1時間40分ほど行った。
本日のスケジュールがすべて飛んだ結果であったが。
そうでなければできていなかった。
熱い気持ちを持った男だ。
不器用だ。
頭も…まぁあまり良くない。
時として空回りもして、それがゆえに時に人に迷惑すらかける。
…とここまで考えて思う。
ふ、俺と同じじゃん。
分かった。
あともう少し臨時をしよう。
ところで、彼とのマンツーマンのゼミで気づいたことがある。
彼の研究に彼の個人的な価値観が強く反映されていることに。
時々、不思議だった。
なぜ、思考が飛ぶのか(のように聞こえるのか)。
今日、ようやっと分かった。
ロジックを考える際に、自己の価値観が強く反映され、「具体⇔抽象」の往還がうまくできていないことに。
彼は成長のために自己努力を最大限(いや限界を超えた努力すら)受け容れ、そしてそれを実践する。
彼の成長とは、すなわち自己を追い込むこと。
分かっていたつもりだが、どうしてもそのことと研究を独立させて考えてしまっていた。
研究者(学部生といえども研究をしているのなら研究者)は、そのような偏見(思考形式を一方に寄せてしまう価値観を我々はこう呼ぶ)を排除することが基本的なスタンスだ。
その基本的スタンスが意識下に深く浸透し、たとえて言うなら家に入る際に靴を脱ぐがごとく当たり前であるがゆえに、私は気づきにくくなっていた。
当然、学生たちもそうであるはずと勝手に思い込んでいた。
教えるとは学ぶことだ。
改めてこの歳になって。
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