私が最も好きなサッカープレイヤーは三浦カズ選手。
56歳になるキングカズ。
もともと読売ジャイアンツが好きで、気づいたらYGマークの帽子をかぶっていた世代だから、その読売がつくったサッカーチームを自然に応援したくなった。
というのもあるが、なにしろ1983年のJリーグ発足の年に、キングカズは輝いていた。
私と歳がほぼ同じというのもある。
が、しかし…私がカズ選手を心から応援したくなったのは、全盛期のプレー以外のところにある。
日本が初めてワールドカップに出場した1998年のフランスWC。
予選、練習試合を含めて、チーム内で最も得点を決めていながら、本選メンバーにはカズは選ばれなかった。
おそらく世界のWC出場チームで、最多得点の選手を外した事例はカズ以外ないのでは?
それでも帰国会見で、カズは自らの髪を金髪に染めて反骨精神を示しながら、それでもこう言った。
自分の力不足、努力不足、それ以上でもそれ以下でもない。
落選の理由を、自分を選ばなかった、当時の岡田代表監督のせいにしたらどうであろう?
岡田監督の意思決定は、決して自分では変えられない。
ゆえに虚しさと、無気力感と、無能力感しか残らない。
未来がない。
…他責の人間に成長はない。
しかし、カズは自分の努力に、その痛烈な事実の原因を、帰属させた。
カズはその後も代表選出を、そしてWC出場を目標に努力し続けたし、ゆえに今でもプロサッカー選手であり続けている。
これを心理学の専門用語で、内的な可変的原因への帰属という。
カズの現在を笑う奴もいるだろう。
しかし、私はカズに最大限の賛辞と、強烈な尊敬の念を贈りたい。
私がもう一人尊敬している人物である坂本龍馬が言ったとされる言葉。
たとえ、ドブの中に倒れようとも、前つんのめりで死にたい。
これ、である。
カズもそうであろう。
そして、私も死ぬのなら、教育の現場で、前つんのめりで死にたい。
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