丸2日間,このブログを放置したのは,本当に久しぶりだと思う。
昨日と一昨日の二日間かけて,親友の葬儀に参列するために,広島県の三原に行ってきた。
昔からよく知っている奥様に頼まれたので,人生で初めて弔辞を読んだ。
こんなに辛い経験は初めてだった…
火葬場まで同行させていただき,最後の最後まで奴の側にいられた。
ところで,逝去したのが月曜日,そして翌火曜日にご葬儀だったので,遠方在住や連絡が途絶えていた友人連中の何人かが,参列できなかった。
ここで弔辞を公開することは憚れるが,その友人たちが何かのきっかけにこのブログの記事に気づき,私に連絡をしてくれるのを期待して,恥ずかしさを堪えよう。
ガヤ,バビヤン,ジロー,ミサヤ,マサキ…
来年,盛大に一周忌を三原で開催したい思っています!
弔辞
昨日の午前,訃報に接しました。
その衝撃の後も,終日講義のために,数百人の前にして平静を装わなければなりませんでした。
二十年近い経験のなかで最も辛い講義となりました。
顔は笑いで繕うことができても,間歇的に襲ってくる心の慟哭に克てずに,少しずつ少しずつ溢れてくるものを抑えることができませんでした。
私が君と最初に出会ったのは,三十年前でした。
大阪芸大に通う高校時代の友人の峯岸君を美野山寮に訪ねた時,そこに裕輔はいました。
質問が絶妙で,人の話を訊くことがとても上手で,初めて会ったその日に徹夜で語り明かしたのを覚えています。
当時の君のちょっと頽廃的な容姿や思考形式の陰の部分は,私の心の陰の部分と重なり合い,君との付き合いのなかでは,私の思考は呪縛から解き放たれ,心地よい自由を感じることができました。
二十歳前の私は,大学生活に鬱屈し,何をしても中途半端で,いつも何かに怯えるように,そしていつも何かを睨みつけるように過ごし,何かに飢え続けていました。
そんな時,君に出会って救われたのです
君も私も,ともに純文学や近代詩が好きでした。
君は特に,作品を産み出す作家の生き様に興味がありましたよね。
太宰や安吾や中也が好きでした。
両切りのゴールデンバットを咥えて,酒をあおり,毎晩のように一緒にくだを巻いた時代もありました。
同じ東京の調布に住んでいる時には,自転車で,二駅先の場末のバーに飲みに行き,二千円しかありませんって宣言して,隣のおっちゃんにおべっかを使って,たかったりしたこともありました。
たちの良くない無頼を装ったこともありました。
二人の間で喧嘩をすることも,二人で一緒に喧嘩をすることも,何度かありました。
まるで堕ちるために生きるような飲みっぷりでした。
しかし,そんな自堕落の生活を送りつつも,君は音楽を,私は勉学を,目指すものは違いましたが,互いに追いかけるものがあり,そして互いにあがいていましたね。
手を大きく振って,まるで毎日ちょっとずつ前に進むために,ドブの中をあがいているかのように…
私が何とかここまでやってこられたのは,裕輔,君のおかげなんだよ。
君と無茶苦茶やった二十代は,一見無意味なようにも思えるけれども,私にはかけがえのない瞬きの積み重ねだったのです。
裕輔が故郷の広島に帰ってからも,腐れ縁は続きました。
私の最初の赴任地が岡山で,君を追いかけるように東京を離れ,西へと向かいました。
広島と岡山の間で,三十路を越えても,馬鹿なことをやったもんです。
楽しかったよな。
そんな楽しい西での生活も3年で終わり,私が東京に戻ると,会う頻度はぐっと減ったけれども,会えば昔と同じ関係にすぐに戻りましたよね。
昨年の十一月,まるで虫が知らせたかのように,ふらりと三原を訪れたら,体重が半分くらいになった君が,そこにはいました。
あれだけ酒好きだった裕輔の車に乗って,裕輔の運転で飲み屋に行くなんて…
そんな状況…夢想だにすることはできませんでした。
迫さんの店で語りあった二時間のなかで,裕輔は平野園の行く末を最後まで心配していました。
事業の仕方や目利きの仕方について,最後の最後の瞬間までヨウコちゃんに伝えたいんだって。
息子のユウサク君も紹介してくれましたね。
君の若い頃に似ずに,陽の部分が解放された,実に良い青年です。
大学受験のことなどについて相談を受けましたが,彼ならきっと大丈夫です。
最後の別れの時に,君とした握手のなかには,平野園への想い,家族への想い,すべての願いがこもっていました。
しっかり伝わりました。
ヨウコちゃんもユウサク君も,そして娘さんのことも,きっと見届けます。
責任を持ってね。
安心してください。
裕輔,君は逝ってしまった。
しかし,私が生き続ければ,君はいなくなりなんかはしない。
いつまででも覚えています。
君は,中也の「サーカス」が好きでした。
特に,「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」の部分を絶賛していたのを良く覚えています。
今でも「中也の擬態語はすげーよ」っていう君の声が聞こえてくるようだよ…
裕輔,私の精神を開放してくれて,ありがとう。
今まで本当にありがとう。
合掌
平成二十九年一月二十五日
渡辺岳夫
あの日の弔辞をもう一度読めないかと思っていた矢先、こちらのブログに辿り着きました。たけちゃんの心のこもったお言葉、染み入ります。心より感謝申し上げます。裕輔妹 美香
返信削除美香ちゃんへ
返信削除コメントをありがとうございました。
消息不明になっている旧友たちが,気まぐれに「平野裕輔」「三原」とサーチエンジンにて検索してくれれば,検索結果上位にヒットし,事態を把握できれば連絡をくれるのではないかと思い,敢えて公開しました。
美香ちゃんが東京で幸せに暮らしていることは,伝え聞いていました。
今は辛いだろうけれども,時々,裕輔を思い出してあげてください。
私は,かつて花谷が書いた裕輔の絵を,研究室に飾ることにしました。