明日からゼミ合宿。
皆,この日のために時間をかけて準備をしてきたことと思う。
新3年生は,緊張しすぎず,リラックスしていこう。
新4年生は,後輩のお手本となるよう,しっかりと行動してほしい。
各自,自分の周りを良く見て,状況判断し,率先して動こう。
待ちの姿勢じゃ,駄目だよ。
ところで,或ることをきっかけに,尊敬する教師を思い出した。
このブログでも何度か書いたことがある。
私の伯父のことである。
優秀な成績で大学に入学し,卒業する時には,研究室に残ることを強く勧められたという。
しかし,戦後が伯父にそれを許さなかった。
伯父は長男であり,まだ小さい弟と妹が6人もいた。
戦争が終わった時には,妹である私の母はまだ8歳であり,それよりチビが3名もいたのである。
元々,私の母の実家は,日本橋に居を構える,なかなか裕福な家であったが,戦争がその全てを奪った。
伯父は,結局,大学院に進まず,高校教師の道に進んだ。
そして決して成績が良くない子が集まる高校で,一教師として人生を終えた。
決して言葉を荒げることがなく,そしてどんな学生も許した,という。
どんな時も真正面から学生と向き合い,その情熱は生涯衰えなかった,という。
伯父は私のこともいつも暖かく包んでくれた。
私の父は激しい人で,いつも仕事仕事で,そもそも家にあまりいなかった。
そんな私にとっては,伯父との時間は心が安らぐ一時であった。
私が大学院生の時に結婚することになった際も,とても喜んでくれた。
式では,顔を真っ赤にして黒田節を歌ってくれたのを良く覚えている。
晩年は,心臓病に苦しみ,薬の副作用で,顔がパンパンに膨れ上がり,別人のようになってしまった。
ある日,母から突然電話があり,伯父が危篤であると伝えられ,急いで埼玉県にある病院に駆け付けた。
すると,病室の外には,深夜にもかかわらず,数えきれないほどの伯父の教え子たちがいた。
病室のなかに入ると,もうギリギリの伯父がベッドに。
しかし・・・伯父は持ち直した。
きっと教え子たちの声が聞こえたんだと思う。
その後,普通に話せる状態にまで回復した。
・・・が,それも長くは続かなかった。
伯父は,会うたびに,大学の教員になった私に言った。
「岳夫,偉くなったな」って。
しかし,日頃の拙に思いをいたし,いつも心のなかでこう呟いていた。
「俺は全然偉くない」って。
今も思う。
「俺はまだ全然偉くない」って。
いつ,私は伯父の前で胸を張って言えるのだろう。
「俺,ちょっとは頑張ったよ」って。
時々,恐怖を感じる。
一生駄目だったら,どうしようと・・・。
悩み,苦しみ,その果てに何かが得られるのなら,喜んでそれらに耐えよう。
しかし・・・。
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