2015年2月21日土曜日

教師として

明日からゼミ合宿。
皆,この日のために時間をかけて準備をしてきたことと思う。
新3年生は,緊張しすぎず,リラックスしていこう。
新4年生は,後輩のお手本となるよう,しっかりと行動してほしい。
各自,自分の周りを良く見て,状況判断し,率先して動こう。
待ちの姿勢じゃ,駄目だよ。

ところで,或ることをきっかけに,尊敬する教師を思い出した。
このブログでも何度か書いたことがある。
私の伯父のことである。
優秀な成績で大学に入学し,卒業する時には,研究室に残ることを強く勧められたという。
しかし,戦後が伯父にそれを許さなかった。
伯父は長男であり,まだ小さい弟と妹が6人もいた。
戦争が終わった時には,妹である私の母はまだ8歳であり,それよりチビが3名もいたのである。
元々,私の母の実家は,日本橋に居を構える,なかなか裕福な家であったが,戦争がその全てを奪った。
伯父は,結局,大学院に進まず,高校教師の道に進んだ。
そして決して成績が良くない子が集まる高校で,一教師として人生を終えた。
決して言葉を荒げることがなく,そしてどんな学生も許した,という。
どんな時も真正面から学生と向き合い,その情熱は生涯衰えなかった,という。

伯父は私のこともいつも暖かく包んでくれた。
私の父は激しい人で,いつも仕事仕事で,そもそも家にあまりいなかった。
そんな私にとっては,伯父との時間は心が安らぐ一時であった。
私が大学院生の時に結婚することになった際も,とても喜んでくれた。
式では,顔を真っ赤にして黒田節を歌ってくれたのを良く覚えている。

晩年は,心臓病に苦しみ,薬の副作用で,顔がパンパンに膨れ上がり,別人のようになってしまった。
ある日,母から突然電話があり,伯父が危篤であると伝えられ,急いで埼玉県にある病院に駆け付けた。
すると,病室の外には,深夜にもかかわらず,数えきれないほどの伯父の教え子たちがいた。
病室のなかに入ると,もうギリギリの伯父がベッドに。
しかし・・・伯父は持ち直した。
きっと教え子たちの声が聞こえたんだと思う。
その後,普通に話せる状態にまで回復した。
・・・が,それも長くは続かなかった。

伯父は,会うたびに,大学の教員になった私に言った。
「岳夫,偉くなったな」って。
しかし,日頃の拙に思いをいたし,いつも心のなかでこう呟いていた。
「俺は全然偉くない」って。
今も思う。
「俺はまだ全然偉くない」って。
いつ,私は伯父の前で胸を張って言えるのだろう。
「俺,ちょっとは頑張ったよ」って。
時々,恐怖を感じる。
一生駄目だったら,どうしようと・・・。
悩み,苦しみ,その果てに何かが得られるのなら,喜んでそれらに耐えよう。
しかし・・・。

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