昨日,4年生のゼミをした。
卒論研究の発表を全員が行った。
その卒論のテーマの中に,「場」の理論がある。
4年生の議論を聞いていると,場が生成しているのであろうか,と思うことがある。
うちのゼミで,4年生のこの時期までくると,「一応」議論が活性化しているように「見える」。
が,本当に情報的相互作用が生起しているか,そのきっかけになる質疑ができているか,良く考えてみよう。
「ただ」議論ができている段階は,とうに越えてなければならないよ。
で,本日は,2年生のプロジェクトチームの新製品開発発表会。
スウィーツ,めっちゃ美味しかった。
こんにゃくのワイン漬けや,ヨーグルトとのコンビ,いけるんじゃない。
また,お酒のつまみ系もすべてGood!!
今月末には,プロの舌に味わってもらおうね。
遠い昔のことだけど,30年以上前に司馬遼太郎の『竜馬が行く』を読み,次の言葉にいたく感銘を受けた覚えがある。
君らに贈りたい。
その言葉を。
「世の人は我を何とも言わば言え 我なす事は我のみぞ知る」
また,長淵剛がフォークの世界を歩いていたころの詩に「逆流」というのがある。
その歌詞を君らに読んでもらいたい。
僕がここを出て行くわけは
誰もが僕の居場所を知っていたから
やさしさを敵にまわしてでも
生きている証がほしかった
竹馬で歩くように
今はまだぎこちないが
まずはここから足をふみだし
飾り言葉を投げ捨てて
「若いくせに!」なんて言わせたくない
奴がブーツのボタンをはずしていようと
奴が人の生きざまバカにしようとも
一歩前のこの道を行かなければ
だって僕は僕を失うために
生きてきたんじゃない
ひび割れた悲しみにしばられる前に
コップ一杯の水を飲み干そう
まずは喉を潤おして
目の前のいざこざを蹴散らすんだ
たとえば誰かが
さびれたナイフで
僕に軽蔑を投げつけても
腰を据えて受けてやる
げんこつ一つで笑えるさ
奴がブーツのボタンをはずしていようと
奴が人の生きざまバカにしようとも
一歩前のこの道を行かなければ
だって僕は僕を失うために
生きてきたんじゃない
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