2024年5月9日木曜日

登山

私は研究を良く登山に例える。

共同研究があまり得意ではない私は、単独登山が好きなクライマーのようなもの。

楽しみながら時間をかけて、自分が登りたい山を登るタイプなので、他の人の選択やペースと合わないことが多いから。

たくさんの山に登り、ただ完登した数を競ったり、難しいだけのつまらない登山は好きではない。


ところで、渡辺ゼミの3年生はグループワークをすることが慣例。

今年は4つのグループができて、組織心理班5名、管理会計班6名、スポーツビジネス班①5名、スポーツビジネス班②5名という構成になっている。

もし班内で登攀する意欲にばらつきがあると、全員が紐でつながれているわけだから、意欲の低い者(能力ではなくあくまでも意欲、能力にそれほど差はない)の登攀スピードに合わせることになり、最後の最後の段階で眠らずに登るなど、無理に無理を重ねざるを得ないことになる。

登るゼミ生も大変だし、伴走している私も限界がちらつくことになる。

登りたい山が高尾山レベルなら、あまり問題は起こらないかもしれない。

だが、峻険な山を完登したいのなら、話は変わってくる。

残酷のように聞こえるかもしれないが、ただ高い山からの光景を見たいからといって、登攀意欲が低いのに、全員をつなぐ紐にぶらさがっていると、意欲があってグングン進もうとする者の体力を奪い、登攀スピードも遅くすることになるので、意欲を行動で示すことができない者は、その紐から手を放すべきだ。

手を放して、同レベルの者たちと一緒に高尾山を登ればよい。

手を放したくないのなら、何とか全体スピードに合わせる努力をすべきだ。

ただ、強いられた努力は辛いし、私は好きではない。

そういう人は、本当にその高い山を登りたいのか、自分の心と向き合うと良い。

私としては、高尾山でも槍ヶ岳でも、登るのはどちらでも全く構わない。

これ本当の本当。

管理会計班から先ほど文献についての問い合わせがあった。

明日の朝一で、まずは読んだ方が良い論文を送るからね。

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