大学生になって卒業論文を書かないなんて…
卒業論文を書くから大学生であり、大学生とは卒業論文を書くものであり…
要するに大学生が大学生たりうるための、きわめて重要なファクターであると、私は信じている。
立教大の中原先生の卒論を書く意味論。
まったく同感。
http://www.nakahara-lab.net/blog/archive/12231
であるからにして、渡辺ゼミでは卒業論文を書かないという選択肢はない。
今日は、11時過ぎから17時半ぐらいまで、びっちり全員分の卒論をチェックした。
まだまだ論理的な文章には程遠いが、とにかく何とか仕上げようという情熱は感じる。
提出まであと8日間。
まだまだ燃え尽きるのは早い。
今少しメラメラ燃えたまえ。
とはいえ、私は決して妥協はしない。
いい加減な論文は決して受け取らない。
大学生活で、これだけはやり切ったと言えるよう、残りの期間、文章に向かいあいなさい。
そして、自分が完成させた論理的な文章が、なんと美しいことか、体感せよ。
指導においては厳しいことばっかり言っているけど、徐々にではあるが、諸君の文章は良くなってきている。
あともう少し頑張れ!!
なんか最後の最後にきて、18期はしっかりまとまってきたなぁ。
助けあい、皆で一緒に書き上げるんだ!
渡辺ゼミの卒論は、その伝統からすると、一人で書くもんだけど、一人で完成させるものではない。
この友たちと一緒に完成させるんだ!
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