原価計算論の最終回の講義において,松下幸之助翁の言葉を受講生に聞かせた。
提出物の採点をしている際に,受講生の中に不正行為を行っているものがいることが判明したため。
叱るのではなく,幸之助翁の肉声を聞かせることにした。
お題は「心を打たれたある車夫の心意気」というもの。
以前にもこのブログに触れたことがあるが,内容はおおむね下記の通り。
まだ自動車もなく人力車の時代。
大阪駅の駅頭にならぶ人力車の車夫の中のある青年の話し。
ある日,細かい車賃を持たない客が,おつりを祝儀としてその青年に与えようとした。
しかし,その青年は,そのお金の受け取りを拒絶し,おつりをしっかり返したという。
松下幸之助はその話しを聴き,いたく心を打たれたという。
「その車夫は偉いと私は思うたんです。
たくさんの車夫のあるうちには,その五銭の,いわゆる祝儀に属するようなものをもろうて喜んでおる人もたくさんある。
しかし,その青年は,十五銭の車代を二十銭もらうということは許されないことだと感じたんでしょうね。
そこに私は,その青年の心の豊かさと申しますか,偉さと申しますか,正しさというものがあろうかと思うんです。
ただなにがなしに十五銭のところを走ったからというて五銭もらうということは,一人前の男子として潔くない。
そういう意味の金をとってはならない,というようなところに,その車夫の青年の心意気があったとでも申しますか,まあそういうことであった。
その人が後にえらい成功しはったんだと,こういうことを聞いたのが,私の耳にこびりつきまして,非常に私は感動をしたんであります。
この青年に負けないような心意気をもって仕事をしなくちゃならない,この青年に恥ずかしくないような商売の仕方をしなくちゃならないというのが,私の胸を始終,支配しておったと思うんであります。
今日,幸いに多くの方々からごひいきをこうむって,今日の私の仕事が成り立っておりますことも,私はそういう意味の公明正大な心持によって経営されておるところに,ごひいきを頂戴いたしておるんだというような感じをいたしておりまして,ただ一言,その時に聞いたその感動は,今日も私の胸に脈々として生きておるんであります。」
幸之助翁は,分を越えた評価をや報酬を甘んじて受けること,あるいは,それらを望むことを,「貧困である」と切り捨てる。
潔さ,公明正大さ。
世の中で多くの人に支持され,そして自分の夢を実現させるためには,それらが絶対に必要だ。
貧困な考えで,一時的に得をしたような気がしても,いずれボロがでる。
さて,そういった内容のCDを聞かせた後,学生に感想文を提出させた。
感動した,ためになったとした者もたくさんいたが,他方で全然心を打たれなかった学生もいたようだ。
今の学生の心の闇を見たような気がした。
学生の声を少し聞かせましょう。
「真面目に生きたいとは考えるが、誘惑があればそっちに吊られてしまうこれはどうしようもない事だと思います。
アダムとイブが禁断の果実を食べたように...人間は誘惑に勝てないものだと思います。
誘惑になんて勝てるわけない だって人間だもの」
「お金が好きなので受け取ります。」
「確かに松下幸之助がいう言葉は正しいと思うが、今の世の中、そんなことを言っている余裕もない(不況なので)ので、所詮、理想論でしかないと思った。」
「私はそんなに綺麗な心というか、正直な心を持っていません。
たとえば自分の得になるようなことがあればそれが力相応のものかどうかまで考えずにそれを享受します。
私はそのほうが自分にとって幸せだって分かってるからです。
そこで正直な心からあえて享受せずにのちのち後悔するくらいなら絶対に得になることは捨てません。
だから私は結構損得勘定で物事を見ることが多いです。
でもそれが自分にとって幸せならそれでいいと思います。」
「相手の好意に対しては素直に受け取るべきだと思う。
素直に受けることで相手も気分がいいし、自分も思いもよらなかった報酬でとても気分がいい。
また、相手の顔を立てることも大事だと思う。素直にもらうべきである。」
「自分がした仕事以上の対価を受け取らないのは人間として素晴らしいと思うが、お金が好きなので実際お金を貰えるならわたしはいくらでも泡銭でも貰う。」
「そのような心意義の車夫だったからこそのちに成功したのかもしれないなと思いました。
私だったら受け取ってしまうかもしれないなと思いました。
私のように心が誠実でない人とは無縁なのかもしれません。
でも、いつも頑張っている自分にやさしい神様みたいな人がちょっと御褒美をくれたのかなと思って受け取るのもありではないかと思いました。」
「自分はもらえるものはもらいます。
汚い生き方でも人生を生き抜いて行きます。」
「人から感謝されて多くもらえたならもうけもんだし、多くもらえて返す意味が自分にはわからない。」
「バイトでピザデリバリーをやっているがチップはもらうだけもらう。」
「私は、5円くらい良いじゃないかと思ってしまう方でした。
それは、お金はあって困るものではないし、盗みとかではなく、ご褒美としてもらう分には罪悪感も感じないと思ったからです。」
「自分だったら間違いなくその五銭、いわゆるチップは間違いなく受け取る。
しかし、日本でもトップクラスの成功者である松下幸之助が"受け取らないこの青年の心の広さに感銘した"というのだから必然的に自分は心の狭い人間なのだと思う。
少しショックを感じた。
でも、もしかしたら世の中にはその五銭で何か善行をする人がいるかもしれないと思うので、必ずしも受け取らないことが心の豊かな人間ではないのではないかと松下幸之助に物申したい。」
「わたしは今までどちらかというと、もらえるものはもらいたいし、それをラッキーだと思って生きてきたので、この若い車夫は自分とは違うなと思いました。
相手から奪っていやな気持ちにさせるものではなく、相手からの好意なのでいいかなと思ってしまいます 。
小さい頃はいいことは自分に返ってくると思っていたけど、大学に入ってからはあまり思えません。
大きくなればなるほど、そうはおもえなくなりました。」
間違いなく大人の責任だ。
我々教育に携わる者たちは,この闇を照らし続けなくてはならないし,その努力を決してやめてはならない。
徳道は大学の役割ではないと,誰が決めた?
さて,長くなったので,続きで救いのある感想文をお示しします。
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