日曜の結婚式で、客観的にみればいわゆる「ガチゼミ」出身の、渡辺ゼミ以外の中大OBOGと飲む機会があった。
ゼミの話が会話の中心になるのは当然としても、頷くポイントがすべてシェアできていて、あぁ言語は同じなんだなぁと首肯することしばし。
まったく違和感がなかった。
…ということなんだと思う。
今回、やたらと渡辺ゼミの応募者が増えて、それはテーマを選好してってのがほとんどだと思うが、つまるところ結局最終的には「人物」が見られるってことなんだと思う。
渡辺ゼミとして一緒に闘う仲間たりえるかどうか。
これである。
渡辺ゼミでは闘う環境を準備する。
求められるのならば、どんなにも困難でも。
しかし、それはいわゆるゼミ面接をクリアしたからではない。
渡辺ゼミという組織の同志として、受け入れられてこそ、だから。
渡辺ゼミに合格したから、だから何か特別な環境が得られるわけではないということを理解してほしい。
同志、志を等しくする者同士、切磋琢磨して、互いに成長を後押しして、その先に見える光景を確かに一緒に俯瞰して…ってそういう関係性や精神性が共有できてこその、ガチゼミなんだと思う。
同志だからこそ、私の希少資源、そして私のネットワークという資源を、振り向ける。
同志になれないやつにかまっている暇はない。
たとえ、それが現在、渡辺ゼミに属している人間だろうと。
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