堀川惠子『教誨師』講談社.
正月に読むには重すぎたけれども…
死刑制度の内実を教誨師の目線で描いた作品。
母に紹介してもらって、昨日と今日、箱根を見ている時間以外で、酒も飲まずに読み切った。
教誨師というのは、死刑囚たちと唯一、自由に面会することが許された民間人のこと。
死刑囚は、死刑判決が確定すると、面会や手紙など外部とのやり取りを厳しく制限され、死刑が執行されるまでの日々のほとんどを拘置所の独房で一人過ごすことになる。
教誨師は、間近に処刑される運命を背負った死刑因と対話を重ね、最後はその死刑執行の現場にも立ち会う役回りを担う。
その役回りを50年もの間担い続けた、渡邉普相という浄土真宗の僧侶の生涯が描かれている。
死刑執行の立ち合いのシーンは凄まじい…
作品の中で、普相をして語らしめているセリフが、その一端を示している。
「真面目な人間に教誨師は務まりません。突き詰めて考えておったら、自分自身がおかしゅうなります…」
終章の節が胸を打つ。
以下、引用。
この世は不条理に満ちている。
愛する者といつか別れねばならぬ哀しみ、正しく生きようとも報われぬ怒り、取り返しのつかぬ愚行への悔恨、そして必死に生きながらも肉体は確実に死へと向かう摂理。
事故、災難、病苦、いわれのない苦難を背負わされ、人に与えられた幸福の量とは最初から不公平なのかと世を恨んだりすることもある。
しかし苦しみも哀しみも、人の一生の流れの中にとどまることはない。
そのことを仏教は「無常」と呼んだ。
永遠に続く幸せがないように、永遠に癒えぬ哀しみもない。
だからこそ、人は生きていける。
OBOG諸氏、現役生にもお薦めの作品である。
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