2021年4月14日水曜日

村上春樹氏の…

村上春樹氏の小説は、食わず嫌いをしていた時期もあるけれども、歳をとってから代表作ぐらいは読むようになった。

ラジオで音楽番組のパーソナリティをされていて、それを聞く機会が何度もあり、村上氏の言葉の使い方に非常に心地よさを感じ、好感度が上がりつつあった最近だが…

その村上氏が母校の早稲田大の入学式で語った言葉。

心地よい。

深いのだが、うんそうだよなぁ、そうなんだろうなあ、ってなぜか容易に納得させられてしまいそうになる。

小説を読まない人は、心の未知の部分を探り当てられないよ!

https://www.sankeibiz.jp/econome/news/210401/ecc2104012300006-n1.htm

 以下、引用。


心を語ろうというのは、簡単そうで、これがけっこう難しいんです。

というのは、僕らは普段、これが自分の心だと思っているのは、僕らの心全体のうちのほんの一部分にすぎないからです。

つまり、僕らの意識は、心という池からくみ上げられた、バケツ一杯の水みたいなものにすぎない。

残りの領域は手つかずで、未知の領域として残されています。

でもね、僕らを本当に動かしているのは、その残された心なんです。

意識や論理じゃなくて、もっと広い、大きい心です。

じゃあ、その心という未知の領域を、僕らはどうやって探り当てればいいのか。

自分を本当に動かしている力の源を、どうやって見つけていけばいいのか。

その役割を果たしてくれるものの一つが物語です。

物語は、僕らの意識がうまく読み取れない心の領域に、光を当ててくれます。

言葉にならない僕らの心を、フィクションという形に変え、比喩的に浮かびあがらせる。

それが、僕ら小説家がやろうとしていることです。

それは例えばこういうことなんだよ、というのが、小説の基本的な働きです。

『例えば』という、一段階置き換えられた形でしか表現できないものがあります。

回りくどいといえば、回りくどいですよね。

だから、小説というのは、直接的には社会の役にはほとんど立ちません。

何かがあっても、即効薬やワクチンみたいなものにはなりません。

でもね、小説というものの働きを抜きにしては、社会は健やかに前には進んでいけないんです。

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