渡辺ゼミにおける研究活動は、山登りのようなものである。
先輩たちはそれなりに高い山の登頂に成功してきた。
もちろん3年生のグループ研究において、過去には「登頂」できなかったこともあるが、それは高い山にチャレンジしたからこそであり、それ自体に大きな意味があり、その経験をしっかり内省し、4年生の卒業研究に活かしてきた。
登るのはあくまでもゼミ生自身。
私はその背中を物理的に押したり、手を差し出し引っ張り上げるなんてことは、決してしない。
私がすることといえば、登る方向について軌道修正の必要性に対して気づきを与えたり、体力のつけ方や登り方などについて教示し、時に勇気づけたり叱咤することぐらい。
自分たちの力だけで登らなければ、そんな登山は何の意味もないからだ。
高い山を登頂しようとすれば、それなりに体力をつけ、仲間同士で手を携え、助け合いつつ、それなりの時間も資源も犠牲にしなければならない。
自分たちを成長させるためのサクリファイスを最小限にしたかったら、高い山に登らないことだ。
別に高尾山でもいいのだ。
どの山を登るかは、ゼミ生たち自身で決めることができるのだから。
一番やってはならないのは、高い山に登りたくて、それを自分たちで選びながら、自分たちの犠牲を最小限にして、サポートしてくれる人の資源を過度に要求し、他人の力に依存すること。
そんなことで高い山の登頂に成功することは、かえってネガティブな効果を後にもたらすであろう。
渡辺ゼミの理念の一つに、人の想いには想いで応える、というものがある。
その理念にも反しているといえよう。
すなわち、そんな登山をしている連中は、渡辺ゼミ生ではない、ということになる。
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