2018年1月26日金曜日

自分が誰であるか

人に育てられたチンパンジーは,鏡に映った自分の姿を見ても,それを自分すなわちチンパンジーだとは認識できない。
しかし,チンパンジーに育てられたチンパンジーは,頬に白のマーカーを塗ってから鏡を見せると,明確に自分の頬についた白いマーカーを拭おうとするそうだ。
それって,つまり鏡に映っているのが自分だと認識しているということ。
人に育てられたチンパンジーはそれができないそうだ。

自分が誰であるかの認識は,その自分との同類との交わりを経てこそ,初めて可能となるということ。
私は19歳の時に,大阪の空の下で,初めて同類と交流した。
そして,自分が誰であるか,どのような存在であるのかを知った。
しかし,その19歳の時の「同類」とは,その時点では同類であったとしても,その後の成長の過程は大きく異なった。
人は年を経るごとに,その進歩の段階それぞれにおいて,適切な「同類」と出会わなければ,自己認識ができず,したがってそれ以降の進歩が停止してしまうのであろう。
常に自分の同類を探すことが必要だ。
しかし…年を経るごとにそれが難しくなる。
どうしてって?
この年になると,退化の波に流されやすくなり,進歩の階段を歩み続ける連中が減ってしまうから。
物理的に肉体が滅びてしまう連中も増える…
熱い気持ちを忘れずに,それを胸に常にいただき,同類との遭遇に備えよう。

しかし…同類との別れは辛い。
歳を経るごとに,出会った同類も増えるが,ある年齢を境に,減っていく方が増えていく。
今の自分までたどり着かせてくれたくせに,今やその喪失感が自分の心を滅ぼさんばかりだ。
大事な人には,もういなくなって欲しくない。

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