本日,グループワークのテーマが「3つ」決まった。
テーマが3つ,ということは,グループも3つということになる。
基本,3年生に決定は委ねる。
それでいい。
意見も自由にいえばいい。
しかし・・・
この年になると,経験を積むと,発言の背景が,きれーいにすすけて見える。
自己都合でゼミの時間を長くとりたくないことを,オブラートに包んで(公平性に欠けるの何のって,納得できないの何のって),うまーく主張しようとする。
胸に手を当てて考えてみればいい。
だいたい,短答に受からなかったゼミを辞めるって言っている人間が堂々と,長時間のゼミはきつい的な発言をし,それを唯唯諾諾を聞いている諸君は何だ?
うちのゼミに,そんな「優しさ」はいらんのだよ。
「悪いが,そういう可能性のある君の意見は参考程度にさせて欲しい」,「個人的な事情で長時間のゼミがきついなら,先に帰ってもらってもいい」ぐらい言えない連中に,社会の変革ができるかっての。
「諸君の心の奥底に,長いゼミは辛い,できることならば早く帰りたい」という気持ちがあったんだろう,どこかにね。
そういう連中は,さっさと自分の居場所を別に見つけたらいいんじゃないかなぁ。
ま,それが表面上の「いたわりあい」を重視する,今の「普通」なんだろうがね。
自由に決めていいと言ったが,最終の決定(6名×3グループ)の際に,私が意見表明する機会すら設けないのだがら,あの場では言いません。
アンに関する発言もそうだけど,「やさしい」君らには,私の発言は耳障りでもあるんだろうよ。
しかし・・・単なる仲良しクラブになりたいのなら,よそでやってくれ。
でも,ここは,私が勝手に自分の思いを表明する場だから,はっきり言っておく。
正直に言って,今日の決定,いや決定プロセスには失望したよ。
残念だ。
4年の意見を最後に聞けば,と振ってもそれを聞こうともしない。
あの場に4年生が,単に雁首揃えに来たとでも思っているのかね。
それぞれ就職活動が忙しい中,自発的に参加しているわけだ。
そこに誰か思いを致した人間がいるのか?
ありがとうの一言を言った人間がいるのか?
ま,いい。
易しい道と厳しい道があったら,易しい道を選ぶのが諸君の大勢なら,それに応じたゼミってのもきっとあるんだろう。
一事が万事って言葉もある。
自分の研究においては易しい道の選択肢を選ぶ余地はない。
だからこそ(研究で厳しい道を選ぶと,とにかく時間が必要だから),教育においては,諸君が厳しい道を選んじまうと,正直「めんどくせー」と思わないこともない。
今日のゼミでも言ったが,うちのゼミは,水曜日一日だけで,毎週90分しか授業をしないゼミの一月分のゼミをする。
だから,疲れもするし,不機嫌になっちまうこともある。
でも,OBOGに聞いてみな。
そんな水曜日を,一日だろうと私が休んだことがあるだろうか。
太鼓みたいなもんだ。
必死に求められれば,決して応えないことはない。
でも,私から見ると,諸君は今日,逃げた(ように思われる)。
18名もいながら,すでにイズムからは逸脱した。
そして,それを自分たちで気づく機会も逃した。
期待が大きかっただけにね・・・。
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