ご縁があって、八王子市のスポーツ推進審議会の委員に就任することとなった。
で、今、八王子市役所。
委嘱式があるとのことなので。
正直、具体的に何を目指している委員会なのか分かっていないが、それほど頻繁に開催されるわけではないので、お引き受けすることに。
しかし…結構大仰な委嘱式だなぁ笑
大学の卒業式みたい。
ご縁があって、八王子市のスポーツ推進審議会の委員に就任することとなった。
で、今、八王子市役所。
委嘱式があるとのことなので。
正直、具体的に何を目指している委員会なのか分かっていないが、それほど頻繁に開催されるわけではないので、お引き受けすることに。
しかし…結構大仰な委嘱式だなぁ笑
大学の卒業式みたい。
この動画,最高の歌に詩。
最高のクオリティ。
でも言いたいことは別にある。
ゼミの一部には分かるかも。
かつてそんなことをした記憶が…気のせいか…
https://www.youtube.com/watch?v=oofSnsGkops&list=RDoofSnsGkops&start_radio=1
You're Beautiful.
You're so Beautiful.
中也の映画がやっていると聞く。
あまり見る気がしない。
思い入れが強すぎて。
中也の詩といえば…有名な詩ばかり取りざたされるが…
私の好きなのは,含羞と書いて「はぢらひ」。
なにゆゑに こゝろかくは羞ぢらふ
秋 風白き日の山かげなりき
椎の枯葉の落窪に
幹々は いやにおとなびたちゐたり
枝々の 拱みあはすあたりかなしげの
空は死児等の亡霊にみち まばたきぬ
をりしもかなた野のうへは
あすとらかんのあはひ縫ふ 古代の象の夢なりき
椎の枯葉の落窪に
幹々は いやにおとなび彳ちゐたり
その日 その幹の隙 睦みし瞳
姉らしき色 きみはありにし
その日 その幹の隙 睦みし瞳
姉らしき色 きみはありにし
あゝ! 過ぎし日の 仄燃えあざやぐをりをりは
わが心 なにゆゑに なにゆゑにかくは羞ぢらふ
さて,第5弾。
ハヤト。
昨年のゼミ訪問にも来てくれたし,ゼミ相談では先輩の話を良く聞いて,22期の中では最も渡辺ゼミを希望してくれた一人。
うちに秘めるものはあるのだろう。
だが,まだまだゼミ中の発言は少ない。
また,発表中に自信をもって,前を向いてフロアに対して発言ができていない。
色々と思うところはあるのだろうが,世の中,何の障害もなく前に進めることなんてほとんどないし,大抵障害物がゴロゴロ転がっているもんだ。
それらを乗り越えていくのは大変ではあるが,だからこそ楽しいとも言える。
今のハヤトに大事なことは,自信を持つこと,自分を信じること。
次にジェホ。
韓国からの留学生で,母語ではないのに,渡辺ゼミの議論に良く加わることができている。
これは本当に凄いこと。
ただやはり,少しずれていることが多いし,まだまだではあるが…
それでもジェホの積極性が,ややもすれば沈みがちな雰囲気を盛り上げてくれていることは事実。
他のゼミ生の兄貴分として,ぐいぐいと22期をこれからも引っ張っていって欲しい。
他の連中も,ジェホに遠慮することなく,ジェホの言葉で意味が今一つ分からないときに,ジェホを慮りすぎずに,そのことをしっかりと指摘してあげるべき。
日本語としておかしい表現だとか言い回しをスルーするのは,ゼミにおいては,思いやりでもなんでもない。
むしろ罪なこと。
しっかり指摘すべきことを指摘すること,それこそ「愛」である。
スポーツビジネスチャレンジ講座。
厚木はやぶさFCの9月21日の試合のイベント・プロデュースを,学生が主体的に行う講座。
本日,はやぶさの社長,CEO,GMらの前で中間プレゼン。
どの企画も,私が言うのはなんだが,実に良い!
残り3か月をきった状況で,間に合うかな,という懸念がある企画もちらほらあるが,実現可能性を加味して,内容を修正していけば大丈夫。
ただ…5つの班のすべての企画を実践することは難しいので,クラブに評価していただいて,3つぐらいに絞り込む必要がある。
今回は,かなり悩むことになるだろうなぁ。
それぐらい良い。
ご褒美にご馳走でもしてやろうかと思っている。
うちのゼミにいる連中って,基本,これ,ちゃうんかなぁ。
俺,しょうもない大人になりたいし,今でも。
ま,もう大人だけど。
いや,もうジジイか。
でも,型にはまった人間になんか,今でもなりたくない。
今でも,番狂わせ,生き抜くために生きているだけ。
おもろい大人になりたいわ。
言いたい奴には言わせておけ。
https://www.youtube.com/watch?v=zlcn57wdr9E&list=RDEBATmXTR-8g&index=3
Hump Back は「拝啓 少年」もいいけど,俺はこの番狂わせ,一押し。
https://www.youtube.com/watch?v=d6i4AtCxrDo&list=RDd6i4AtCxrDo&start_radio=1
本日のJリーグビジネス論Ⅰには,FC今治の代表取締役社長にご登壇いただきました。
その中で,教育者の森信三氏の「修身教授録」の中の言葉が紹介されていた。
素晴らしい言葉なので,ここでも紹介したい。
人は一生のうち,出会うべき人に必ず出会える。
しかも,一瞬早すぎず,一瞬遅すぎないときに。
しかし,うちに求める心なくば,眼前にその人ありといえども,縁は生じず。
心に常に何かを求めるところがなければ,出会うべき人に接する機会があっても,その人であることには気づかない。
みすみす縁を放棄していることになる。
求める心とは,拡散的好奇心に近い意味合いで使われているものと思われる。
目に映るもの,触れるもの,身近に起きること,何事にも関心を持てる人間になりたいね。
外部の組織と提携したPBL型の講座を担当していると,履修生の多くは最初必ず「〇〇はできますかね?」と言った質問を,私にもしてくるし,提携先の外部企業にもしたがる。
この質問が出てくるようだと,まだまだ。
例えば,「試合後にスタジアムは使えますか?」というサッカークラブに対する質問。
こんな質問されたって,クラブ側は答えようがない。
使えるかもしれないし,使えないかもしれない。
せいぜい返ってきて,そんな程度の答えぐらい。
そうではない。
使えることを前提に,それを使うことが必要な企画案の目的,効果,リスク等を調べ上げ,利用に伴うコストやリスクを勘案しても効果がそれを大きく上回ることが見込まれるのならば,「だからスタジアムを使わせてもらいたい!」と情熱をこめて主張するんだ!
使うマークは「?」ではない「!」だ。
自分たちで入手できない情報もあるだろう。
その場合は,フェルミ推定とかを使うんだ!
スポーツビジネスチャレンジ(SBC)の学生には少し教えた。
スポーツビジネスプロジェクト(SBP)の学生にはまだだっけ?
少し自分たちでも調べてみな。
とにかくまずは他人に頼るのではなく,自分でできる限りのことをやってみることが大事。
それをしてきた人には,他人が頼っていいよって姿勢で接してくれる。
これまでの学校の先生は,頼れば応えてくれただろう。
それが先生の職務なのだから。
しかし,我々が提携している企業は,限られたリソースしか我々に振り向けてくれない。
別に相応の対価をお支払いをしているわけではないし,好意でリソースを振り向けていただいているわけであって,それが限定的なのは当たり前。
君らの企画がその外部の企業のために練られているものであったとしても,である。
その企画に情熱が込められ,自主的に練り上げられたものであればこそ,企業の方々は,それに応えてくれる。
頼り,頼られの関係になる。
それこそ真のビジネスのパートナーだ。
そう,SBCもSBPも大学の講座ではあるけれども,いずれも一定の枠組み内でではあるけれども,ビジネスに実際にチャレンジするという意味で,外部の提携企業にパートナーだと思ってもらえること目指してもらいたいものだ。
書物の冒頭の「はしがき」を書き上げた。
これまでの20年間に及ぶ「管理会計と組織における人間心理」に関する自分の研究史を振り返り,様々な想いが駆け巡った。
多くの人たちの支援を得て,自分の研究が成り立ってきたことに改めて想いを致し,深甚なる感謝の念を抱かざるを得なかった。
アメーバ経営の導入していて私の調査に協力してくださって来た企業の皆さま,中大の同僚,職員の皆さん,渡辺ゼミの歴代のゼミ生たち,親しくしてくださっている他大の先生方,そして,親や妻や子供たち。
本を書き上げて世に問い,少しでも社会のために貢献することができるのなら,上記の方々の想いに少しは応えたことになるのではと想い,最後の最後の詰めの作業に全力を尽くす。
大学スポーツの価値を,外部に対するものと,内部に対するものと,明確に分けて考える必要がある。
ややもすると前者のみが語られる。
そして,前者の価値も低く見られている。
内部価値としての現役学生そして教員職員に対する効果は,まずは測定することから始めるべき。
測定結果を公にし,その価値に対する説明責任を果たし,その後の推移をしっかりと測定すべき。
その果てに内部に対する促進的な効果が見られるだろう。
今晩,年の半分程度を中大スポーツの応援に振り向けている中大OBと語り合い,中大スポーツの未来について意識のすり合わせを行った。
未来を築構してみせる。
仲間と力を合わせ。
無理に山登りをしてもらうことのほど危険なものはない。
他の人の命にもかかわることなので,真剣に登る気のない人は,さっさと下山した方が良い。
それが誰にとっての平和でもある。
ましたや誰かさんが山を登るのを辞めたから,じゃ自分も辞めるといった人は,周囲に危機的な状況をもたらすので,その意味でもさっさと下山すべき。
無駄な時間はない。
愛すべき21期・22期よ,迷わず登れ!!
信じてみようぜ自分
行くしかないなら
強くもなく
弱くもなく
まんまイケー!!
https://www.youtube.com/watch?v=45EfwJsJwtk&list=RD45EfwJsJwtk&start_radio=1
第四弾か…
まずはケントについていきますか。
ゼミでは,私に寄り添った発言をしてくれているね。
気づく人と気づかない人がいるかもしれないが。
ひょっとしたら,私を慮ってくれているのかもしれないが…
早々と気づいていたが,いや正直嬉しいよ。
他の連中は気づいていないかもしれないが,私には分かる。
きっと優しい奴なんだと思う。
だが…こう見えて,修羅場を何十回もくぐり抜けてきているんでね,俺も。
ありがとう,でもね,大丈夫だから笑,もっとぐいぐい自分を出して良い。
さて,次はハヤトか。
当初からうちのゼミを志望してくれていて,大事に思ってくれているんだろうけれども,表面的な優しさは,長い目で見たときに,むしろマイナスの方が大きい。
もっと自分を出して良い。
いや,出すべきだ。
あと,声が小さい。
自信の無さげさを漂わせちゃあかん。
むしろ自信のないときには,逆に腹から声を出しなさい。
ハヤトに限らず22期生全体を貫くのは,自信の無さ。
渡辺ゼミで,効力感を育もう。
その場所で,ずっと愚直に生き続けていく人間もいれば,離れていく人間もいる。
出会いから始まるってのは,それはそうだが,「さよなら」から始まることもある。
https://www.youtube.com/watch?v=pXBi1L9J0-g&list=RDpXBi1L9J0-g&start_radio=1
人は出会い,そして別れ,それを繰り返し,で,結局,人生の最後に何を思うか?
最後の最後に,家族,そして仲間のことを想起しつつ,「はい,良い人生でした!」って死にたい。
それだけ。
そのためには,根っこの部分まで,つまり根こそぎは,逃げちゃいけない。
何度も何度も,何度も何度も,負けてきたし,打ちひしがれたし,恥の多い人生だったし,20代でもう人生つんだってこともあったけれども,基本,逃げてこなかった。
いや,こざかしい逃げはうってきたかもしれない。
でも,種は残してきたし,根絶するぐらいの逃げはしてこなかった。
最後の最後に想うのが,あぁ逃げ続けた人生だったなぁっじゃ,死んでも死にきれない。
自分に優しく,自分に厳しく。
この暑さは堪える…
今日は朝5時台に起床し,30分かけて,畑から水道までおよそ往復50メートルのところ,両手で27㎏の大型のジョウロを持ち4往復して,汗だくになってから,大学へ。
それから4つの会議をこなし,合間にメール対応をすることができる程度で,自分のことをはほとんどできず晩になり,それからテニスに行き,バリバリの高校生3年生と対等に(勝手に自分がそう思っているだけだが)打ち合ってバリ汗かいて,20時過ぎに帰宅してから,明日の朝また大学に行く前に汗だくになりたくないなってんで,頭に懐中電灯をつけて,40分かけて27㎏のジョウロを両手で持ち5往復して,汗だくのテニスウエアにさらに全身汗だくを重ねて,野菜に水を。
結果,晩御飯を食べ始めたのは21時半。
ここまでして畑を維持して何になるのって感じだけど,野菜をあげたゼミ生や職員さんから,美味しかったって感想を聞くと,頑張っちゃうんだよね。
さぁ,明日も会議だらけ。
ビシッといこー,ビシッと!!
第三弾ということで,ではナツミ。
自分のグループの発表の際にも,オーディエンスとして質問をする立場の際にも,観察していると,何やら言いたいことがありそうな様子が散見されるが,発言できない…
正しいことを言わなければならないとか,これを言うと人にどう思われるだろうかとか,そういた考えが,声を発することを妨げているとすると,これをもったいないことはないし,そういった考えは,こと渡辺ゼミに限って捨て去るべきだ。
疑問に思っていることを発言するということは,それが他者の気づきになり,その研究のリファインにもつながるかもしれないわけで,それをしないということは,そのチャンスを奪っているとも言え,独善的な行為とさえ言える。
同期は,研究に関するいかなる発言に対しても,受け容れるべきであるし,現在の22期のメンバーを見渡すと,すでに受け容れる素地ができているとも言える。
今後を期待したい。
次にユースケ。
最近,ゼミ中にちょくちょく発言することができているのは,良い兆候。
その調子で続けてほしいが,同時に励行してほしいのは,自分の発言にずれがあったことに気づいたら,それはなぜなのか内省をすると良い。
おそらく大学入学後,論理的な議論の経験をほとんどしてこなかったのであろう。
他者がある主張をしたとき,あるいは論文を読んでいる際に重要な考察に接したときに,そのまま受け容れるのではなく,なぜそうなるのであろうと,「なぜ」「なぜ」を何度か繰り返すことが大事。
その経験の積み重ねの果てに,論理的思考能力が急激に高まる時期が来る。
習慣的な取り組みが必要だ。
21期と自宅で語り合う。
なぜ善意と善意の持ち主のやり取りで,すれ違いが起こるのだろう?
ましてや悪意と悪意が対峙したら,世の中の争いは…
自宅に3度っておそらく21期が最多。
変える姿を見えなくなるまで見送る。
お前らが変える姿が見えなくなるまで。
どうしてこんなに…
二番目はヨシタツ。
ムードメーカーで物怖じせずに発言できるところが最大の長所。
大人しいのが多い22期生の中にあっては,貴重な存在。
だが,なんにせよ論理的に物事を考える癖がついていないので,「なんとなく」が多い。
それからこれは意識すれば,比較的早く矯正できるかもしれないが,自信がないときはモゴモゴと早口で,聞こえずらい小さな声でしゃべってしまうことは,要改善点。
ゼミ中の発言は,報告者に聞こえれば良いわけではなく,ゼミ全体に聞こえるくらい大きな声でしゃべらないとダメ。
次はノリ。
意外とゼミ中に発言しているのはポジティブな点。
だが,昨日さんざん同期に指摘されたから,自分の改善点は分かっていると思う。
遅刻癖を治すのは当然として,そうしたマイナスをゼロに近づける努力だけではなく,少しでもいいからプラスの習慣化も目指した方が良い。
例えば,毎日必ず文章を30分間読むとか(できれば音読が良い)。
新聞でも良い。
それを最初は10日間は続けることを意識する。
それを乗り越えたら,次は1か月。
その次の山は3か月。
それを乗り越えたら,結構,その後は苦労せずに続けられると思う。
最近,会議が多くて,考えなくてはならないことが多すぎて,時々片頭痛がするくらい。
基本的にあまり頭痛にはならない体質だったんだけど…
しかし,本日,新学部に関して一つ大きな山を越えた。
これについてはずーっと頭の片隅に残り,スタッフになる先生方のこと,そして未来の学生のことを考え,何とか最善の環境をと思って取り組んできたことなので,本当にこれで良いのか何度も何度も悩んだ。
自分でもこれで良かったのか分からない。
しかし,限られた時間の中で,限られた与件の中で,リーダーがしなければならないことは,決断だ。
たとえ現状に妥協したと言われようと,その責めは喜んで受けよう。
理想を追い求め,ゼロイチの賭けに出ることはできない。
とにかく,この決定を前提に,仲間と共により良い環境になるように力を尽くすしかない。
今は,そのために自分の心も体も燃やしつくす。
他のことや組織に忖度している余裕などない。
幕末の儒学者である水戸の藤田東湖の言葉。
誠は天の道なり
これを誠ならしむるは人の道なり
朝からトータル6時間会議。
それもかなりストレスフルな会議。
力を合わせれば,乗り越えられる。
大事なことは,根っこの部分は何なのか,そこをしっかり理解したうえで,それを守ることが何よりも大事で,それが守れないのなら残念ながら削ぎ取らなければならないところは,削ぎ取るしかない。
根っこの部分を置き去りにして,枝葉の部分を議論するのは不毛。
ステークホルダーとの調整は必要だが,それにも限度があるし,変えるべきところと変えるべきではないところを,しっかり認識することが必要だ。
根っこを無視して,枝葉だけ整えても,いずれ枯れる。
根っこを大事にして,幹を太く大きくするために,闘うべきところは闘い,守るべきところは守らないと。
日米開戦時の日本海軍連合艦隊司令長官の山本五十六の言葉
「陸軍との争いを避けたいから同盟を結んだというが、内乱では国は滅びない。戦争では国が滅びる。内乱を避けるために、戦争に賭けるとは、主客転倒もはなはだしい。」
「国大なりといえども戦好まば必ず滅ぶ 国安らかなりといえども戦忘れなば必ず危うし。」
本日,嬉しいニュースが一つ。
まだ具体的に言えないが…
私の専門書の出版が大きく前に進んだ。
最初に論文を載せた機関に転載の許可申請をしたり,京セラに出版許可が必要か問い合わせたり,出版社に連絡のメールをしたり,「はしがき」を見直したり…
嬉しい忙しさ。
秋には出版することができそう。
日本では文壇とかいう権威が邪魔するが…
世界を見回せば,ボブデュランがアカデミー文学賞をとる時代。
世界は先の先の先をいっている。
中島みゆきの歌詞は,芥川賞をとっても良いぐらい。
特に,この「化粧」という詩。
素晴らしい。
本人の動画がないけど,うぴ子のカバーと高畑淳子の語りがとってもとっても良い。
ここまで女性のみならず人間の想いを,言葉で可視化できる人間がいるだろうか?
https://www.youtube.com/watch?v=fpPMcmcxdyY
https://www.youtube.com/watch?v=3u6YmezYcEc
流れるな涙
心で止まれ
流れるな涙
バスが出るまで
馬鹿だね馬鹿だね馬鹿だね私
愛してほしいと思っていたなんて
馬鹿だね馬鹿だね馬鹿のくせに あぁ
愛してもらえるつもりでいたなんて
毎週金曜日の晩にNHKの「72時間」という番組があるが…
これが実に良い。大好き。
前理工学部長も好きっておっしゃっていたし,なんか琴線に響くところがある。
今日の「72時間」の舞台はAPU。
別府にある立命館大。
いやー,学生寮って良いよ。
集合寮の良さが分からない大人って,本当の意味での教育ってのを理解できてんのかなぁ。
このプログラムを見れば分かるよ。
集合寮の意義が。
俺もこんな国際寮に住んでみたかったなぁ。
集合寮が個を埋没させるって?
何言ってんだ?
個を尊重する意識を学ぶのが集合寮だっての!
3年生のゼミのグループワークがどうも停滞している。
読む論文を分担して読み,他の人の分担部分は読まない。
それぞれ分担部分を要約して発表するだけ。
分断されており,それぞれを比較し,整理されていない。
それではほとんど意味がないし,フィードバックのしようもない。
いっそのこと,これは良さそうって皆思える論文を一つ選び,それを全員読み,それをめぐって皆で議論し考察して,その結果を発表する方がはるかにまし。
来週のゼミでは,とにかく今のやり方を繰り返さないように。
それに対して4年のゼミの今日のユミとユウキの発表は,ゼミ内で次から次への意見や主張が飛び交う,実に良いものであった。
そういった時間を経て,新しい発想や方向性が見つかるのが,ゼミの醍醐味。
3年は4年の発表を見学しても良いかもね。
You see, but you do not observe.
The distinction is clear.
「君は見ているけれども観察していない。その違いは明らかだ」
シャーロック・ホームズの小説の中の言葉。
人は人と同じものを見ていても,そこから何を得るかは人によって全く異なる。
関心をもってそれを見なければ,それはただ網膜に映っただけだ。
好奇心をもって見て,そこから何らかの情報を得ることができてこそ,その「見る」という行為は「観察」に昇華する。
充実した観察は,その分,その人にもたらす情報量をリッチにする。
そこから情報量の多さは,洞察力にとってポジティブだ。
大学4年間,ただ「見た」だけの者と,「観察」を繰り返した者では,天と地くらいの差がついている。
ベースは好奇心。
素直な心を持ち,何にでも興味関心を持つことだ。
名優Al PacinoのScent of a Womanはぜひ観るべき。
その一節。
https://www.youtube.com/watch?v=Jd10x8LiuBc
Now I have come to the crossroads in my life.
I always knew what the right path was.
Without exception, I knew, but I never took it.
You know why?
It was too damn hard.
Now here's Charlie.
He's come to the crossroad.
He has chosen a path.
It's the right path.
It's a path made of principle, that leads to character.
Let him continue on his journey.
サマセット・モームの言葉(サミングアップ,p.327)。
「悲観に陥る原因は,
多くの場合,
ある状況で自分なら感じるであろう感情が
他人にもあると考えることによる。」
想像力に富む人間ほど,悲観に陥りやすいということか。
しかし,それは逆に新しい何かを産み出す力を潜ませているとも言える。
悲観的になることを悲観することはない。
新たな可能性を自分に感じれば良い。
2024年開設予定のスポーツ情報学部(仮称)。
この学部に関する情報共有のための附属4校との意見交換会が,今日でまずはひと通り終わった。
この学部における学びについては,実に誤解が多い。
スポーツ系の学部と一括りにされてしまうと,この学部の学びの特色が埋没してしまう。
これから積極的に附属高校はもちろんのこと,その他の外部の高校にも出向き,この学部の学びを積極的に広報しなければならない。
この学部は…
スポーツを学ぶのではない。
スポーツで学ぶのだ。
データの分析が学びの主眼ではない。
データを課題解決に活用できるようになることが大事なのだ。
つまり,この学部の教育上の目的は…
スポーツを対象にしてデータで社会の課題を発見し,解決する力を育むことである。
学部の出口の部分,つまり就職先についても多くの誤解がある。
確かに,プロスポーツ組織やスポーツ産業に属する企業に就職希望の学生も多いだろうし,実際にその進路を歩む学生も多いだろう。
しかし,それだけではない。
この学部は1・2年生のカリキュラムでの学びを経ると,一人前のデータサイエンティストとしての入り口に立つレベルに至る。
その認証が得られるよう関係機関に申請する予定。
データサイエンティストは,今の社会では,あらゆる企業,つまり一般事業会社でも,引く手あまたの状況である。
したがって,この学部の学びを経た学生は,スポーツ系の組織のみならず,あらゆる企業または公的機関に,強く求められることになるであろう。
今日の日経新聞1面の「春秋」というコラムの言葉。
実に良い言葉だ。
学生にぜひ知ってもらいたい言葉。
「それしか知らない者はそれをも知らぬ」
実に良い。
昨日訪問した水戸ホーリーホックと提携した授業,スポーツビジネス・プロジェクトでは,1年生が集客上およびSDGs上効果的なキッズイベントの考案に取り組んでいる。
現在は,様々な情報を収集し,分析し,取り組むべき課題を抽出する作業を行っているが…
上の言葉が実に参考になる。
ある事例を一つだけ調べて,それで終わり,だと,その事例のことを知ったようで,実は何にも知ったことになっていない。
複数の事例に関する情報を収集し,それを何らかの基準を用いて整理し,比較し,考察してこそ,初めて有意義な知見が得られる。
これは3・4年生のゼミ生の研究においても当てはまる。
先行研究のレビューをする時にも参考になるだろう。