2025年11月6日木曜日

こんなことなら

ここ4カ月以上,テニス肘に悩んでいた。

が,生来,医者に通うのが好きではないので,自力でなんとかしようとしてきた…

数年前に自力で直したという,自力でテニス肘を治す効力感が,なまじっか醸成されていたからなのだが…

先週,膝も痛み出してきて,これはダメだとなり,昨日,整形外科に行ってきた。

レントゲンで確認してもらったところ,特に異常はなし。

その点は良かったが,要は肘も膝も使いすぎとのこと。

ところで,処方してもらった「経皮吸収型鎮痛・抗炎症剤」含有の湿布が実に効く。

痛みが解消されるので,大変助かる。

こんなことならもっと早く医者に行けばよかった。

2025年11月5日水曜日

人材供給源として

本日,現4年生の一人が内定を頂戴している,以下の企業の人事担当の方とお話した。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2025110400673&g=spo

うちのゼミ生は,トップマネジメントにもだいぶ期待されているよう。

今後も提携していきたい企業の一つ。

今後も,社会に有為な人財を送り出していきたい。

2025年11月4日火曜日

2026年度演習Ⅰの二次募集

今年も二次募集を実施ます。

ただ,一次募集で既に16名が合格しているので,最大でも4名ほどが合格者の枠となる。

応募者数にもよるが,残念ながら,一次募集で合格できず,でもゼミには絶対に入りたいし,入る以上はゼミ活動に力を入れたいという人で,渡辺ゼミに関心のある学生さんは,私にアポをとったうえで,研究室訪問をしてほしい。

そういった行動力は,選抜にあたって大きく評価されることになるので。

二次募集の応募期間は今月の17日から。

余裕を見て早め早めに連絡してほしい。

最近,私がちょっと忙しめなので。

2025年11月3日月曜日

海の傍の部屋から

チャペルのヴァージンロードを初めて歩いた。

宴の後,帰宅し,産まれた時の重さのぬいぐるみと一緒に,いつものソファに座っていると,これまでの20数年間が想起され,ぬいぐるみがただのそれに思えなくなって,あぁ俺も思えば遠くへ来たもんだと動けなくなった。

ぬいぐるみを抱っこして,昔のように抱っこして,毛布をかけて,昨日は寝た。

海が眩しかった。



2025年10月31日金曜日

こういう生き方

私の学部・大学院の後輩の石塚辰八さんのこと。

彼とは直接の面識はなかったのだが,1年ほど前に彼の指導教授とある会でご一緒して,私がスポーツ系の学部創設に関わっていることをお伝えしたところ,ご紹介いただいた。

一緒に食事をしてお酒を飲み,意気投合した。

彼は,一部上場企業の役員もして,まぁたっぷりお金も儲けて,50歳を過ぎて会社を辞めて,「やりたいことをやりたい」ということで,ポルトガルのサッカークラブのオーナーになってしまった。

https://note.com/hot_zephyr7236/all

昨年度,残念ながら彼のクラブはポルトガル4部から5部へ降格してしまった。

しかし,毎試合の情報をLINEで送ってくれるその文面からは,変わらぬ情熱がヒシヒシと伝わってくる。

私のゼミ生には,こういう大人になってほしい,そうつくづく思う。

ギラギラしているおっさんは気持ち悪いけれども,キラキラしているおっさんは,実にカッコ良い!!

2025年10月30日木曜日

危機においてこそ人間の本質は

コロナ禍の大学。

渡辺ゼミの伝統を崩壊させてくれた。

その影響は今も残る。

コロナ禍は,人間が常日頃「かったるい」と思って行っていた「山登り」の大事さを浮き彫りにした。

人間は,山登りをしなければ,生きられない,あるいは生きづらい生き物なんだと。

単独登攀も大事だけど,手を取り合いともに登る共同の登攀も大事だってことを。

だからこそ,皆,このback numberの「水平線」に共鳴したのでは?

https://www.youtube.com/watch?v=iqEr3P78fz8&list=RDz2bVk_nP9JM&index=5

平坦なところを歩き続けるのも良い。

が,やはり坂道は必要だし,助け助けられ,手を取り合いってのが…やっぱり。

人は過ぎたことをすぐに忘れる。

もうコロナ禍も「過去」になりつつある。

が,それで良いのか?

審査と,そして想うこと

教授への昇進審査を受けて以来,十数年ぶりに,他者からの審査を受けた。

自分より若い研究者とのやり取りは刺激的だ。

正直,時流に合わすの苦手だし,共同研究も苦手だし,自分の関心のあることにしか目を向けられない,現代的な研究者としてはきっと私は失格なのかもしれない,と思う時もある。

でも,私が研究者になろうと思ったのは,他者や時流への迎合ができないという,自分のパーソナリティをしっかり見極め,これで一応一人前になれるか,それとも野垂れ死にするか,その択一を覚悟したうえでのこと。

今さら迎合なんてできない。

私は私のしたい研究しかできない。

日本でのガラパゴスと言われようとも。

だからこそ,自分の研究に妥協は一切ない。

自分が好きな研究に,妥協という言葉はない。

矛盾する。

こんな指導教授のもとのゼミ生は苦労するだろう。

私にとって「研究」とは,妥協を許さないサンクチュアリ。

ゼミ生なら分かるだろう。

高尾山なら,良い。

でも,峻険な山を登りたいのならダメだ。

妥協は,即,死を意味する。

なぜ,私が…

君らに死んでほしくないし,君らが「たまたま」登攀できてしまって(再現性なく),社会にでて滑落する危険性を容認したくない。

大事なことは登攀することではない。

どう登攀したか,だ。

そのプロセスにおいて,どう振舞ったか,だ。

たまたま登攀できることはある。

でも,それは大事なことではない。

大事なことは,そのプロセスにおいて,必要な振舞いを,必要なだけ,できたか否か。

これである。

たまたま登攀できたことを,私は褒めない。

単純なそれは,これからの諸君の失敗の危険性を増す所業に他ならない。

褒めりゃ良いっていう世間の風潮は,絶望の生起の可能性を高めることに等しい。

真の愛は,君は間違っている,君らは間違っている,と声を大きくして警鐘を鳴らすことだと私は信じる。

繰り返しになるが…

大事なことは登攀できたかどうかではない。

どう登攀したか,だ。

悔しがるのは,登攀できたか否かに,ではない。

登攀中にすべきことをできたか,できなかったか,そこ,である。