この4月に卒業した20期のユウスケから連絡がきた。
かなり金額の大きな仕事に携われることで,そこからは高揚感と緊張感と不安が看取できた。
仕事をするうえで大事にして欲しいこと。
それは,私の大好きな松下幸之助氏の言葉につまっていると思う。
私は,今でも「その車夫は偉いと私は思うたんです。」という言葉に接すると,鳥肌が立つ。
幸之助翁と同じように,私もこの車夫に負けないような心意気をもって仕事をしていきたいし,してきたつもり。
心を打たれたある車夫の心意気
松下幸之助
1963年講演
私が,ちょうど皆さんと同じ年配のころに,非常に感じたことがあるんです。
どういうことを感じたかと申しますと,大阪駅の前でありますが,今から50年ほど前のことでありますから自動車はございません。
あの駅頭には,ずっと人力(車)が並んでおったんであります。
旅客が降りてまいりますと,歩いて町へ出る方,あるいは人力を利用される方もさまざまでありますが,そのなかに,一人の客が,ずっと並んでいるところの人力車夫に,「船場のどこどこへ行け」ということで乗ったんです。
その車夫は,年齢まだ24,5の若い人であったということであります。
あの当時,非常に車賃も安い,十銭,十二銭というようなときであります。
ところが車賃をくれる時に,十五銭の車賃を二十銭くれた。五銭ようけくれた。
それでその車夫は,これは多いということで,お客さんのたもとをつかまえて,「ちょっと待ってください。お釣りを差し上げますから」とこう言う。
襟を正すとでも申しますか,粛然としたかたちになって,そのおつりを「持って帰ってくれ」と,こういうことです。
その人は,「いやもう,これは君に祝儀にあげる」と言うと,「いや,それはいらない」「いや,あげる」「いらない」と言うて,ついにそのお客さんは仕方なしに五銭のつりをもろうて帰った。
この車夫が後日,相当成功したという話を,私は今から50年前に聞いたんであります。
私はその時に,いたく心を打たれたんです。
その車夫は偉いと私は思うたんです。
たくさんの車夫のあるうちには,その五銭の,いわゆる祝儀に属するようなものをもろうて喜んでおる人もたくさんある。
しかし,その青年は,十五銭の車代を二十銭もらうということは許されないことだと感じたんでしょうね。
そこに私は,その青年の心の豊かさと申しますか,偉さと申しますか,正しさというものがあろうかと思うんです。
今日,われわれは,そういうことは一つの礼儀として,まあ祝儀をもろうたり受け取ったりすることはあります。
しかし,祝儀をもろうたりする場合があっても,それには何らかの意味が含まれている。
ただなにがなしに十五銭のところを走ったからというて五銭もらうということは,一人前の男子として潔くない。
そういう意味の金をとってはならない,というようなところに,その車夫の青年の心意気があったとでも申しますか,まあそういうことであった。
その人が後にえらい成功しはったんだと,こういうことを聞いたのが,私の耳にこびりつきまして,非常に私は感動をしたんであります。
私はその後,商売をするようになりまして感じましたことは,そのことであります。
この青年に負けないような心意気をもって仕事をしなくちゃならない,この青年に恥ずかしくないような商売の仕方をしなくちゃならないというのが,私の胸を始終,支配しておったと思うんであります。
したがいまして,私の口から言いますと,はなはだ当を得ないのでありますけれども,あえて言わせていただきますと,私は小さいかたちにおいて商売をいたしましたが,その商売ぶりと申すものは,非常に公明正大であったと私は思うんであります。
今日,幸いに多くの方々からごひいきをこうむって,今日の私の仕事が成り立っておりますことも,私はそういう意味の公明正大な心持によって経営されておるところに,ごひいきを頂戴いたしておるんだというような感じをいたしておりまして,ただ一言,その時に聞いたその感動は,今日も私の胸に脈々として生きておるんであります。
皆さんは,どういう立場でお仕事をしておられますか,さまざまなお仕事をそれぞれ持っておられると思うんであります。
しかし,皆さん,ことごとく,お互いが社会生活をしていく上において,なくてはならない,みな仕事をもっている。
その仕事がお互いに交換されて,お互いの生活と言うものが維持されていく。
そして,それがだんだんとお互いの分量が増えて行くところに,社会の発展というものがあろうかと思うんであります。
そういうような,色々な複雑な場面に立っておられますが,その仕事の中心に,公明正大なものの考え方というものをお持ちになっておられるかどうか。
”もうかったら得だ” ”よけい収入があったら,それが幸いだ”というような貧困な考えではいかんのではないかという感じがするんであります。
自分の力に相当した待遇というものを世間から受けることは,堂々と私は受けて良いと思うんであります。
しかし,自分の力にもないような待遇を受けるということは,恥ずかしいことであるし,またやがて困ることになろうと思うんであります。