2024年9月24日火曜日

何のための研究か?

この夏,3年生のグループ研究のプロセスでは,一部のゼミ生から研究の楽しさが伝えられ,とてもうれしく思った。

それが大事だ。

研究の成果は,それ自体貴重で,意義深いものであるかもしれない。

しかし,学部学生が行う研究でもっとも大事なことは,内発的動機づけ研究の大家であるエドワード. L. デシの言葉を借りれば「普通に存在している以上の状態に到達すること」である。

研究に楽しさを感じ,それに携わっている間,時間が経つのも忘れるぐらい熱中している状態になったことがあれば,それが上記の「普通に存在している以上の状態」である。

夏合宿終了後も,何度も懇願されて,例えそれが休日であっても,3年生の研究に対してフィードバックする機会を設けてきた。

今日の夕方も,3年生の4つのグループすべてに対して,その機会を設けた。

しかし,とても残念な気持ち。

一つのグループは,インター大会に出場したいから早くクエスチョンネアの作成に入りたいからといって,分析モデル内でまだロジックが詰められていなかった箇所をカットして,いたくシンプルにした分析モデルを,今日,私に示した。

モデルを構成する概念を一つカットして,仮説を2つカットしていた。

このような本末転倒な行為に接したくなかった。


もう一つのグループは,先週の土曜日に行ったフィードバックのほぼほぼすべてに対応していなかった。

対応しないことに明確な理由があれば,それも良い。

しかし,感動に影響を及ぼす要因として先行研究で指摘されていて,私もそれへの対応が必要ではないかと指摘したのにもかかわらず,明確かつ整合的な理由を説明することはできず,単に新たな概念を含めるのを面倒くさがったのではと思われてもしょうがないような対応。

先行研究へのリスペクトが感じられない。

他のフィードバックへ対応しなかったことについても,単に「自分たちではそう思った」というだけで,第三者の指摘を顧みない。

一事が万事ということもあるので,単に検討するのを倦んだだけではと思ってしまう。

早くクエスチョンネアを完成させたいというインセンティブが強く働いたのだろう。

最初のグループと同類だ,それでは。


さらに,もう一つのグループも,やはり土曜日に行ったフィードバックを反映した改善がなされておらず,それをしないならば,しない明確な理由も述べることができないとならないのに,それもできず…

モデルの構成概念ごとに,それを多面的に測定するために複数の項目を設定する必要があるが,抽象的な項目に加え具体的な項目を複数交えたらどうかとアドバイスしたのに,すべて抽象的な項目のラインナップにしてくる…


唯一の救いは,管理会計のグループ。

分析モデルがすでに完成し,そのアメーバ経営の特性を捉える概念も定まっているのに,あとはその概念を測定する質問項目を考案するだけだったのに,彼ら彼女らが考案した質問項目に対して先週の土曜日に問題性を指摘したら,今日になって質問項目をうまく考案できないので,モデルを構成する概念を変更する方向で検討している,ときた…

まったく対応の方向性がずれているが,しかし,彼ら彼女らは少なくともモデルを創り直すという膨大な時間がかかる行為から逃げてはいない。

だからこそ,質問項目を考案するにあたって必要な「測定したい概念をイメージすること」のためには,当該の概念を身近な類似の事象に置き換えて考えてみると良いとアドバイスを与え,実際に私ならと,それをやってみてあげた。

管理会計のグループは,すでに調査協力企業が決まっている。

データ収集に時間がかかる。

早くクエスチョンネアを仕上げたいであろう。

今日のフィードバックへの対応がある程度進む見込みがあるのなら,明日,教授会が夕方まであるのだが,終了時間は読めないのだが,終わり次第,見てあげても良い。

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