2010年12月17日金曜日

成功と失敗の帰属

今日の日経新聞のスポーツ欄の三浦知良のコラム。
彼は語る。
J2の最終戦における1得点の活躍は,人が言うように「カズは『持っている』から」ではない。
そのために普段の練習の時から,それを練習と思わず本番さながらの真剣さで取り組み,努力してきたからだ。
こうも言う。
1998年のワールドカップでメンバーから外されたのは,今思えば,自分の努力が足りず,実力が足りなかったからだ。自分のせいであり,当時の岡田監督は当然の判断を下したまでだ,と。

彼は,成功も失敗も,その原因を自己の普段の努力に帰属させている。
もし,失敗の原因を自分の能力に帰属させていしまえば,もって生まれた能力は変わらないので,次もまた失敗するのではないかという予期につながる。失敗の予期は次の取り組みを阻害する。やっても無駄だ,となる。
しかし,普段の努力の不足が原因ならば,その不足を埋めることができれば,次は成功するのではないかと予期することができる。やればできるという肯定的な自己評価につながる。だからこそ,必至に努力する。そして,成長する。
もし,失敗の原因を,己の内部の要因にではなく外部の要因,たとえば岡田監督に求めてしまえば,悪いのは監督であって自分ではない,となる。これでは努力につながらない,自己変革につながらない。

やはり一流と呼ばれる人は,経験から体得した「持論」を持っている。そしてそれは,原因帰属理論や自己効力理論といった心理学上の知見と完全に整合している。

大学の教員は,授業がうまくいかない,学生が授業中に寝る,私語をする,話しを聞かない,といった理由を,学生の資質に求めがちだ。しかし,果たしてそうか。考えてみる必要がある。自分に原因はないだろうか。

私は授業中の私語を決して許さない。粛とした場で授業は行われる。
しかし,授業中寝ている学生を叱ったりはあまりしない。
それを見ると,自分が学生の興味を引く授業ができていないからだと考える。
そして,授業運営の改善に闘志を燃やす。
しかし,思う。
その火はいつまでも燃やし続けることができるのだろうか,と。
もし,できなくなったとき,私は…。

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