今の大学生は,教育を受ける過程で,とことん絶対評価に馴染んできた。
到達度評価と言い換えることもできる。
一定の水準に到達したら,他人の成績は関係なく,良い評価が得られる。
傾注した努力が報われる評価方法ではある。
これに対して相対評価とは,良い評価をとれる人の割合が決まっており,いくら自分が頑張っても,他者がそれ以上に頑張れば,必ずしも良い評価は得られない。
学ぶ子供の内発的動機づけを重視する,教育心理学のメインストリームでは,到達度評価が選好されてきた。
相対評価では,自分以外の第三者に勝つことが目的となりがちであり,外発的動機づけが促進されてしまうと考えるからである。
文科省のいわゆる「ゆとり教育」は,そのメインストリームに則ったものであり,必ずしもその方向性は誤りではなかった。
しかし,大学生になり,様々プレゼン大会や,さらには就職活動となってくると,とたんに相対評価が主流を占めるようになる(授業は相対評価の要素も若干入るが,到達度評価がメインではあるが)。
もちろん,高校時代でも,ガチで部活をしたりしていた子は,そこでも相対評価を経験してきたであろうが,大学に入るとさらにその経験の度合いがさらにあがる。
高校までは,自分の努力がおそらく成果を決める最大の要因であったろうが,大学のプレゼン大会,それもガチの大会では,自己の努力のみならず,当日の自分(と自分の仲間)の体調・緊張の度合,審査員の審査方針・専門分野・実務経験の有無等,ライバルの努力・研究内容・それと審査員との相性,プレゼン会場の環境,等々,実に様々な要因の影響を受ける。
その結果,努力量に見合う成果が得られるとは限らないという非線形的な因果関係が現れる。
渡辺ゼミは,伝統的に多大な努力を,研究に対して傾注する。
そのため,成果に対する期待は大きくなる。
期待が大きいだけに,努力に見合う成果が得られないときに,大きな挫折を感じることになる。
また,渡辺ゼミでは,膨大な努力を自分たちの研究に傾注はするが,同時に,他のゼミ生(あるいは他のグループ)に対する支援を重視する。
自分たちの研究に時間を全フリするのではなく,他のグループへの支援をできることに価値を置いている。
そのために,時として,自分のグループが見合う成果が得られていないのに,自分が支援したグループの方が高い成果を得てしまうこともある。
一番望ましいのは,自分たちが自分たちの努力量に見合う成果を得つつ,自分が支援したグループも一定の成果を得ることができること。
一番キツイのは,自分たちが自分たちの努力量に見合う成果を得ることができず,自分が支援したグループだけが一定の成果を得てしまい,その成果を得たグループが支援してくれた人やグループに対する配慮が足りないとき。
それはかなりキツイ状態。
人によっては耐えがたいぐらいの苦悩に苛まれることになる。
私が最も評価するゼミ生は,高い成果を得たものではない。
そのキツイ状態に耐え,そこから這い上がり,前を向くことができるゼミ生である。
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