阿部詩選手の号泣を見苦しいと批判する声もある。
しかし,そういった連中は,自分は少なくとも主観的には絶対的に完璧とも思えるような,凄まじい努力をしてきたのか,と問いたい。
彼女の号泣の背景には,おそらく世界最高峰の山に登頂しうるほどの努力があったはずだ。
だからこその号泣。
だからこその,人目を憚らない,後に批判されることにも想いを致せないくらいの,そんな行動だったに違いない。
彼女を批判する人間は,自分で絶対的と確信をもって言えるような努力をしてきたのか?
いや,努力をしていないと批判してはダメだと言っているわけではない。
批判しても良いが,彼女の努力に対するリスペクトは絶対に失ってはならない。
私は,彼女の号泣に心を揺さぶられた。
近年,あれほど赤裸々に自己の努力を世に問うた若者はいるだろうか?
私の長女の名前にも「詩」の文字がある。
彼女の再起を祈念してやまない。
4年後にまたお兄ちゃんと金色のメダルを獲得し,あの最高の笑顔を見せてほしい。
人生の栄光は勝ち続けることにあるのではない。
負けるたびに這い上がること。
それこそが人生の栄光である。
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