自分で言うのは当を得ないかもしれないが…
私のゼミでは、実に多くの失敗が、そこかしこで繰り返される。
実に素晴らしい。
それを私は誇りに思っている。
失敗できるということは、レベルの違いはあるだろうけれども、とにかく新たなことにチャレンジしているということである。
日々慣れたこと、ルーティンだけを繰り返しているだけでは、失敗は得られない。
ちょっと気の利いた企業では、社員を次の順番で評価する。
すなわち、チャレンジして成功した者、チャレンジして失敗した者、チャレンジせずに成功した者、チャレンジせずに新しい何事をもなさなかった者、の順である。
評価の軸は「成功」ではない。
「チャレンジ」である。
成功には様々な要因が作用するので、チャレンジしても、そうそう得られるものではない(まれにチャレンジせずに偶然成功が転がり込むこともあるが)。
一流のバッターでも10回のうち7回は凡打する。
一流のスリーポインターシューターでも10回のうち5、6回はミスをする。
いわんや凡人をや。
チャレンジして失敗したら、しっかりと内省をすれば良いだけ。
それだけ成功には近づく。
教師は、期待を裏切られ、そして残念がり、虚しさを受け容れることができなければ務まらない。
何度も何度も失敗してよい。
それはいろんなチャレンジをした、その単なる結果に過ぎないから。
しかし、同じ失敗は何度も繰り返してはいけない。
それは内省をしっかりしていないから起こる。
教師を残念がらせても後悔する必要はない。
そんもんなんの足しにもならん。
大事なことは内省。
そして、めげずにチャレンジし続けることだ。
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