「うらやむ」ということ。
大学院生だった頃,当時の指導教授が趣味でアイヌ語の勉強をしておられた。
授業の合間や飲みに行った時には,よくその話をしていただいた。
今でもよ覚えているのは,「うらやむ」に関わる話。
「うら」とはアイヌ語では「心」という意味で,だから「うらやむ」というのは,「心が病んでいる」ということを意味しているのだと教えていただいた。
他人を「うらやむ」というのは,実は自分の心が病んでいるからなんだと。
また,幸福論で有名なバートランド・ラッセルも次のように言っている。
「心配についで,最も有力な不幸の原因の一つは,おそらく羨望(他人をうらやましく思うこと)であろう。羨望は人間の感情のうちで最も一般的で根強いものの一つであると私は言いたい。」佐山栄太郎(編)『訳注ラッセル選』
他人を「うらやむ」のは,不幸の原因だと。
うむ。
他人がどうであろうと関係ない。
自分らしく生きたいね。
ただ,時々思うだが,この「自分らしさ」とは何だろう?
「自分」とは「他人」があってこそ生まれてくる概念。
「他人」がいなければ「自分」もいない。
ということは「自分らしさ」というのは,「他人のようにはなれない」という諦念や絶望が前提になっているのではないか?
それらが前提になっていない,単に自分の好きなように生きているだけってのは,本当に「自分らしく」生きているということになるのだろうか?
つらつらとまとまりのない話を書いてしまった。
さ,研究に戻ろう。
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