教えるということは,教えられる人にとってためになるのは無論だが,教える人にとっても非常にためになることが多い。
教えるという行為を通じて,新たな気づきが多々得られるのだ。
教えるためには,教える内容を「要するにこういうこと」と,端的に説明できなければならない。
この,「要は」というのが難しい。
よーく考えなければならない。
そのプロセスで大きな気づきが得られることが多いのだ。
また適切に教えることができたと思っても,以外とそれが通じていないことがある。
教えられた人間が,教えられたはずのことをうまくできない様をよく観察すると,教え方のどこがまずかったのか,教える内容の理解の仕方にまずかった点がなかったか,といったことに気づきが得られることが多いのである。
最近,息子に左足のインステップを教えているのだが,教えながら分って来ることが多く,おそらく現役時代より私自身も左足はうまくなっている。
今度の新ゼミ生にも,一人ひとりに,上級生のチューターをつけることにした。
来春の合宿や春ゼミにおける発表の準備をする際に,新ゼミ生が悩みを相談する相手を,3年生につとめてもらうのだ
3年生にとっても,非常に勉強になる,良い機会だと思う。
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