2024年10月10日木曜日

一コマ

日常の中で,私は1日一つでも,小さくてもいいから,幸せだったこと,美しかったこと(もの),素晴らしかったこと(もの),とにかくポジティブな心持ちを意識するようにしている。

今日のそれ。

朝から,研究室訪問をしてくれた2年生との対応,福岡大学の学部長先生とのミーティング,3年生のグループ研究への対応,学部の大事な会議…

それら一つずつについて,その意識は顕現化するよう努力。

その隙間も。

学部の大事な会議が終わり,ゼミ生の待つ部屋へ向かう。

その時点で自分を必要としてくれる存在のあることに幸せを感じる。

部屋のドアを空けると,皆私を一斉に見てくれる(統計に必死ななっちゃんは,椅子に両足のっけて,PCをガンミしていたけど,ほぼ…)。

今日は大事な晩の席があり,ぎりぎりまでゼミ生と一緒にいたのだけれでども,18時30分に間に合うように研究室を急いで出て,12階のエレベーターに向かうと,ゼミ生たちが,「せんせ,せんせ!」ってドアを開けて待っていてくれて。

それが本当に幸せだった。

そして,2年生までぐうたらな生活を送っていたやつでも,わずか1分のエレベーターの中でも,統計のことを私に質問してくる…

こんな幸せなことがあるだろうか。


かつて,私が尊敬していた高校教師の叔父が,私が大学の教員になったときに,「タケオ,偉いなぁ」って良く褒めてくれた。

法律家だった父が,私をほとんど相手してくれなかったため(私が落ちこぼれのどうしようもない,良く言えばダタイスト,まぁただのひねくれ者だったのでしょうがないのだが),叔父は私にとって敬愛できる唯一の大人だった。

その高校教師の叔父は,かつての共通一次試験(今のセンター試験)で,全国でも科目によってはトップ10に入るぐらいな優秀な人で,大学院に残ることも嘱望されたが,家庭の事情で(私の母も幼く,長男として7人兄弟姉妹を支える必要があった),高校の科学の教師になって家計を支えた。

しかし,私は常に思う。

私は全然偉くなんかない。

タカシゲおじちゃんの足元にも及ばない。

でも,その高い山があるからこそ,私は眼前の高い山を登ることができている。

いつまでたっても,きっと,おじちゃんの「偉いなぁ」という言葉は腹落ちしないかもしれない。

でも,偉くないけれども,確実に言えることはある。

私は教員になって学生に幸せにしてもらっている,と。

あいつらが可愛くってしょうがないんだよ。

凄いだろ。


叔父の死期が迫ったとき,連日,叔父の親族しか入れない病室の外には,教え子たちが列をなして粛然と立ち,祈りを捧げていた。

私は叔父には程遠い。

でも,私は,頑張る学生の心に寄り添うこと,その気持ちだけは叔父に負けたくない。

どんな人間でも,うちのゼミに入り,努力すれば輝ける,そんな場所にしたい。


明日も長い一日になりそうだ。

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