今日の卒論報告で,私に,そして20期の同期の皆に本当のことを言われて,悔し涙を流している学生がいた。
それを見て可哀そうと思った20期はいるかい?
いるとしたら,それは大きな誤解。
可哀そうどころ,彼は本当に幸せだと思う。
事を為すにあたって,本当のことを言うと可哀そうだからと,それを言わずスルーされると,後々取り戻しのつかない事態に至ってから,その本質的な問題に気づき,もう手遅れってことになる。
まだ問題の萌芽の段階で,根本的な問題を指摘してもらえる環境にいることは,なんて幸せなことなんだろう,と思う。
問題を指摘しないということは,思いやりでもなんでもなく,むしろ思いやりのない行動といえる。
厳しい指摘かもしれないが,それができるようにするためにこそ,20期はこれまで心理的安全性を高める取り組みをしてきたのではないか?
今日の悔しさをバネに,次の卒論発表では良い発表をしてくれることを期待している。
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