2013年10月14日月曜日

自己とは

世界を旅していると,圧倒的な自然,とてつもなく悲愴・悲惨な事象,あるいはまったく新奇な出来事などに遭遇し,「世界観が変わる」ことがある。
「世界観が変わる」という表現は良く使われるが,どういう意味であろう。
私見だが・・・
その圧倒的な自然などに遭遇することで,あまりにも小さな「自己」に気づくのであろう。
それまでの自分を取り巻く狭い環境における社会化のプロセスで築いてきた「自己」や「自尊心」が,なんてちっぽけなものだったのだと気づくのである。
既存の「自己」の崩壊に直面するのと同時に,新たな「自己」の芽を懐抱することになる。
このプロセスを経験することによって,あるいは繰り返すことによって,人は成長する。
しかし,それは時に痛烈な痛みや苦しみを伴うことがある。
だから,人は自己の,例えて言えば脱皮のようなプロセスをできれば避けたいと思う。
既存の「自己」にぶらさがっていれば,少なくとも狭い世界では,しばし居心地よく過ごすこともできるのだから。

自己を守ることに汲々としていると,次第にその狭い社会で築構された「自尊心」が肥大化する。
すると,この厄介な概念を守るために,自己取り巻く人間のちょっとした一言に過敏に反応するようになる。
自己の崩壊につながるような示唆には,耳を傾けなくなる。
ますます自己の狭い精神世界にこもることになる。
一見,新しい未来にチャレンジしているように見えても,精神世界は完全にクローズド。



しかし・・・
永遠にクローズドではいられない。
既存の「自己」は,社会と接触しつづけていれば。
いつかは必ず訪れるのだ。
新しい「自己」との出会いが。
その出会いが,明るい未来への一歩であれば・・・と祈る。

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