大学の講義において,私語は絶対に許容できない。
私語は,他の人の修学を妨害する,一種の搾取的行為だ。
断固として,何と陰口をたたかれようが,注意をする。
その甲斐あって,私の講義では,私語はほとんどない。
「ほとんど」というのは,講義開始のチャイムが鳴り,私が授業開始を宣言した後でも,それまでのざわめきの一部が,若干,ほんの数十秒だが残るからである。
これはいつの講義開始時にも多少はある。
ま,講義が始まってしばらくすれば,ほっといてもおさまるのかもしれないが,私語厳禁を掲げる以上,それも許容できない。
「そのぐらいいいじゃん」という声が聞こえてきそうだが,そうではない。
それを放置すれば,学生は,開始時の私語は多少許容される,とただちに学習してしまう。
そして,だんだん5分ぐらいいいんじゃん,いやだったら6分ぐらい,10分ぐらい・・・ときりがなくなる。
しかし,その授業開始時の注意が,教室全体の雰囲気を悪くする。
なかなか私も冗談や余談が言いにくくなる。
注意を受けたことによって,学生に拒否的態度が多少なりとも生じてしまうからだ。
良い時の授業は,私語もなく学生は粛然と,しかし非常に熱心に,私の話しを聞き,たまの余談の時は,笑いや多少の話声が教室に満ちる。
そう,私語厳禁といっても,私が余談を話している時などは,多少の会話は許されるし,むしろ多少の反応がないと,余談なんかできやしない。
一定時間の緊張の持続と,その緊張が若干弛緩する間の存在,この絶妙のメリハリが実現した時,学生の修学も著しく進むし,講義終了後の私の満足感も半端ではない。
講義開始時の私語は,たとえ若干(ほんの数秒あるいは一言)であろうとも,私が注意をすれば,その後の良い授業の実現を妨害してしまうのである。
そのくらい,実は「罪」が重いのである。
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