ゼミの卒業生も200名近くなったが、それでもなお卒業後のつながりを大事にしたいと思っている。
渡辺ゼミは大きく分けて3つのフェイズに分けることができると思う。
私がシアトルでの2年間の在外研究をする前の期の1から4期。
2007年に帰国してからガチゼミへ移行する過渡期の期と、それに移行した後の期と。
私もLINEを少しは使いこなせるようになり、1から4期とはグループラインを創っていた。
この度思い立って、それ以降の期もLINEのグループを創ることにした。
5から9期。
それから10期から16期。
前者はすでに54名が参加してくれている。
あっという間にそれだけ集まってくれた。
ありがたいことだ。
次々に参加してくれる名前は皆懐かしく、往事をついちょっと前のように想いだせる。
LINEではないが、先ほど最近の卒業生からメールが届いた。
なかなか新卒で務めた会社でうまくいかず、転職したとのこと。
切々と想いが語られている文面に、私も胸が熱くなる。
人生はまだまだ長い。
人生で大事なことは負けないことではないんだ。
負けても挫けずに何度も立ち上がること。
それこそが人生の栄光なんだ。
昔、附属高校に通っているときに、中大進学が嫌だったわけではないが、昔から動物が大好きだったこともあり、獣医学部のある大学に進学したくて、予備校に通ったことがある。
高校2年生の冬のことだった。
それを後押ししてくれたのは、中杉の岩崎先生だった。
結局は歯が立たず、受験すらできず、中大に進学した…
今振り返ると、その時のそのチャレンジに後悔はまったくないし、岩崎先生には感謝しかない。
…が当時の挫折感は半端なかった。
それを含め、数々の挫折の果てに今の私がある。
挫折の経験は、チャレンジをしたことの一つの結果である。
自信がある。
いずれ数十年後に人生を終える瞬間、それまでの人生を想起したとして、挫折を残念に思うことはなかろう。
もし残念に、無念に思うことがあるとすると、きっとチャレンジしなかったことだろう。
チャレンジしたのであれば、その結果は、例えそれがその時の自分にとって必ずしも望んだものではなかったとしても、そんなことは長い人生を考えた時に、些細なことなんだ。
OBOG諸氏よ、失敗は恥ずべきものでもなんでもない。
気に病みすぎなさんな。
Failures are like skinned knees, painful but superficial.
失敗は膝小僧を擦りむいたってほどのもんだ。ちょっと痛いけど、そんなもんすぐに治るわ。
大事なことはね、転ぶくらい一生懸命走ろうとしたことだ。